<墓碑銘2022㊤>亡くなった方々の足跡【文化・社会・スポーツ】宮平初子さん、照喜名朝一さん、平良敏子さん…


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(左上から右に)宮平初子さん 照喜名朝一さん 平良敏子さん (左下から右に)普久原恒勇さん 金城重明さん 新垣健さん

 沖縄が日本に復帰して50年の節目だった1972年。沖縄戦後、消えかけていた文化芸能の火を再びともし、守り育てた功労者たちがこの世を去った。(年齢は享年、死亡年月、役職は死去当時、敬称略)

【文化・芸能】

 首里織の宮平初子(99歳、3・7)は、県内の女性で初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。沖縄戦後の焦土から首里織を復興させ、その技法・表現の研究を重ねた。

 琉球古典音楽安冨祖流絃聲会名誉会長の照喜名朝一(90歳、9・10)は琉球芸能初の人間国宝。独唱や琉球舞踊、組踊の地謡で活躍した。音楽の殿堂カーネギーホール(米国)での公演を成功させ、世界に歌三線の魅力を伝えた。

 芭蕉布の人間国宝、平良敏子(101歳、9・13)は、戦時中に勤労女子挺身(ていしん)隊として岡山で働き、戦後に帰県した。地元の大宜味村喜如嘉に戻り、壊滅状態だった芭蕉布づくりを復活させ、後進の育成に尽力した。

 県民の愛唱歌「芭蕉布」などで知られる音楽家の普久原恒勇(89歳、11・1)は、多数の名曲を生み出した。郷土愛の中に新しさがある「普久原メロディー」は県内外で親しまれた。

 大城光子(88歳、8・13)は、女性だけで演じた沖縄芝居の人気劇団・乙姫劇団の四大スターだった。

 沖縄空手・古武道連盟元会長の島勇夫(87歳、8・21)は沖縄伝統空手道振興会の発足にも携わった。

 県美術家連盟会長などを務めた画家の川平惠造(72歳、4・23)、国指定重要無形文化財「琉球舞踊」保持者の平良盛勇(84歳、4・26)、県指定無形文化財「八重山伝統舞踊」保持者の森田吉子(103歳、5・6)、沖縄伝承音楽の記録・保存、研究に貢献し、作曲家としても多くの作品を残した杉本信夫(88歳、11・1)も他界した。

【社会・平和・福祉】

 沖縄キリスト教短期大学第3代学長の金城重明(93歳、7・19)は渡嘉敷島の「集団自決」(強制集団死)の生き残りとして悲劇を語り継いだ。大江・岩波裁判の法廷で自らの体験を証言し、軍の関与を認定する判決に影響を与えた。

 宮平義子(93歳、9・13)は、沖縄戦に動員された県立第二高等女学校(二高女)の元女子学徒らでつくる白梅同窓会の書記を務め、白梅之塔での慰霊祭の開催に尽力した。

 国際福祉相談所長などを務めた平田正代(82歳、4・22)は国際結婚や離婚、無国籍児など米軍基地から派生する問題解決に取り組んだ。

 新垣武(66歳、11・28)は県出身のプロ囲碁棋士として初めて最高段位の九段になった。

 国立療養所「沖縄愛楽園」自治会長の米蔵豊正(68歳、1・23)、RBCiラジオの懐メロ番組でパーソナリティーを長年務めた仲地昌京(85歳、3・6)、名古屋のCBCラジオで「チバリヨー沖縄」パーソナリティーを務めた浜盛重則(72歳、4・18)、沖縄弁護士会元会長の伊志嶺善三(85歳、6・26)、太平洋戦争中、米軍に撃沈された疎開船「対馬丸」の引率教員だった糸数裕子(97歳、9・29)も、惜しまれつつこの世を去った。

【スポーツ】

 比屋根吉信(70歳、1・4)は興南高野球部を春夏計6度甲子園にチームを導いた名将。元阪神仲田幸司、元横浜デニー友利らプロ選手も育てた。

 坂元信一(80歳、4・19)は、沖縄代表が初出場した1960年の全国高校野球選抜大会で、那覇高のエースで4番として活躍した。

 88年の兵庫インターハイで小禄高男子ハンドボール部を率い、全国大会で県勢初優勝に導いた新垣健(84歳、10・3)は、多くの選手や指導者を育てた。

(稲福政俊)