<書評>『よくわかる 琉球古典音楽の姿』 「唄旋律」の発展願う


社会
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『よくわかる 琉球古典音楽の姿』大城米雄著 自費出版・1100円

 本書は「よくわかる」本とは言い難いが、歌三線を嗜(たしな)む者が傾聴すべき重要な問題提起を含む貴重な書である。

 本書で注目したいことは、三線譜・工工四の声楽譜を創案した世礼国男の理論の捉え方を批判している点である。というのも、現在の野村流は世礼国男の理論への批判は問答無用に許さない体質があるからだ。評者もかつて本紙のコラムで世礼国男の工工四の問題点に触れたところ、当該会派の先生方から強くお叱りを受けたことがある。

 大城氏は、世礼国男の音階論を「歌旋律」に基づくとして批判し、それに対して「唄旋律」に基づく理解こそが必要だと述べている。歌も唄もウタと読むので紛らわしいが、大城氏の批判する「歌旋律」とは、西洋音楽の七音音階の枠組みで琉楽を捉えようとする考え方で、世礼国男の著作「琉球音楽楽典」は確かにそのような音階の枠組みを基礎に勘所を明確化し、これに独自の「吟」記号を加えて補っている。

 一方、大城氏の提唱する「唄旋律」とは、音階の個々の音の特性を観察して“核となる音”と”浮動する音”に分けて理解する考え方である。これは民族音楽学者・小泉文夫の音階理論や、琉楽研究家・富原守清の「律音・呂音」の考え方とも通じている。同じく琉楽研究の先達・山内盛彬も“浮動する音”をどのように理論化するか悩んだ末、音楽学者・田邉尚雄に助言を求める手紙を書いている。

 「歌旋律」と「唄旋律」の違いを認識することは、演奏法とも深く関係している。音程を固定した高さと捉えて明確に歌うか、前後の脈絡次第で高さが浮動すると捉えて柔らかく歌うかは、実演上の大問題だからだ。大城氏が伝え広めたいこともこの点にあるようだ。本書は理論だけでなく、演奏を考える上でも意義深いと考える。

 本書は重要な問題提起であり、多くの実演家にお読みいただきたいが、論理構成では難解な部分が多々あって惜しまれる。それだけに、今後、若い演奏家がこれに続いて、野村流の演奏理論研究をもっと発展させてほしいと念願する。

(金城厚・沖縄県立芸大名誉教授)


 おおしろ・よねお 1933年本部町生まれ。琉球古典音楽野村流師範。国指定重要無形文化財組踊保持者(総合認定)、沖縄伝統音楽野村流保持者認定。沖縄県文化功労賞受賞者。