鉱夫として島に渡った祖父の名が今は名字に ニューカレドニアの県系3世コーキさん、ウチナーンチュの誇り胸に


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
沖縄を思い続け、ウチナーンチュ大会にも参加したコーキ・クリスチアヌさん

 1954年に北部東海岸プユで生まれた沖縄県系3世、コーキ・クリスチアヌさんの祖父は宮城恒基さん。ニッケル鉱夫としてニューカレドニアに渡ったが、鉱山を降り農業に従事するようになった。「ミヤグシキ・コーキ」と、登録の時に名字と名前がひっくり返りコーキが名字として記載された。コーキ家は2006年に開催の日系人の写真展が縁で親族探しを始めた。11年にウチナーンチュ大会に参加したクリスチアヌさんの弟が、新聞の呼びかけで親族を見つけた。

 クリスチアヌさんは「戦争が始まって祖父が捕虜として強制連行された時、祖母は別れの言葉すら伝える間がなかった。その後、祖母が悲しむので祖父の話はタブーになった。ところが、祖父は沖縄に帰り1952年に亡くなっていた事実が2012年に分かった。私たちは失われた沖縄との関係を取り戻さなければならないと強く思った」

 それ以来、機会があれば夫婦で、あるいは兄弟や孫を連れて沖縄に行くようになり、ニューカレドニアでも沖縄の親戚を迎えた。学校の寮の仕事を退職した2016年から語学の習得のために週に1回、ヌメアの日本語学校に通うようになった。彼女にとって沖縄が何よりも優先事項だ。その中でもウチナーンチュ大会は外せない。

 大会は、それまで沖縄を知らなかったニューカレドニアの県系人を目覚めさせた。県民一体でつくり上げる祭典に参加すると、祖先と沖縄と脈々とつながっていたことを体感する。そして戦争に翻弄(ほんろう)された先祖の、悲しい思い出も誇らしさに変わっていく。この大会に参加する人は表現することが難しいほど感動が止まらないという。

 2021年に予定された第7回大会のはコロナ禍のため1年延期された第7回大会の参加に、日本政府が入国者にビザを求めたため、領事館のないニューカレドニア市民にとって大会参加のハードルが高かった。10月中旬にビザが不要となり、行ける人だけが参加する形になった。

 クリスチアヌさんは大会前、義母の葬儀が南アフリカの近くのレユニオン島であった。式を滞りなく終わらせ、夫婦で沖縄に駆け付けた。2人は沖縄や親善協会の人々、親戚に温かく迎えられた。「16年の前回と比べてコロナ禍の影響で参加者数は少なく、閉会式では最後にみんなでカチャーシーは踊れなかった。けれども沖縄の気持ちは何も変わらない。同じように熱かった」。彼女は満足そうに語った。

(山田由美子ニューカレドニア通信員)