肥大化する防衛予算 生きづらさに残酷な拍車 宮城公子(沖縄大教授)<女性たち発・うちなー語らな>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
宮城公子氏

 先回の知念ウシ氏の原稿において言及された、先年度末から本月までの県紙の報道に展開されている政府の防衛(を越えた軍事政策)予算や戦略転回、装備戦略の肥大まっしぐらの動きへの絶句感と批判を共有する。

 防衛予算拡大への否定的な声も多々ありながら、SNSなどではやはり中国やロシアや北朝鮮みたいに「軍事暴力的」と感じられる国への対抗として必要かも、という若い世代の声、またその先輩や親世代あたりの同様な見解も併存する。反応には県内と県外にはかなり隔たりがあるにしても、回答の共有度も低くはない。

 しかしその財源として何がターゲットにされ、無尽蔵でない国庫の限界の中から何を削るかの方策を取らなければ国防費の増大は成り立たないことは明白だ。

 「なんか」中国、北朝鮮が怖いから国防費増加いいかもの思考で、センチメント(感情)的にそれを支持する人々が、本当は現実の深いところで希求する、個々の暮らしやすさや生きやすさのための福祉や教育、子育て支援が国防の名目のもとでガンガン削減され、自分たちの首をじわじわ絞める政策を支持して下支えしてしまっているという状況が、2000年代初頭の小泉政権あたりから「なんか」浸透した。

 それは国民、特に生きづらい状況を抱える若者、高齢者、障がい者、女性たちの多くの経済生活を苦境に追いやり、近年のコロナ禍がまた女性の解雇や家庭内暴力被害、若年妊娠、若年女性の自殺増などに残酷な拍車もかけた。マスクにより表情でのコミュニケーションを激減された子どもたちの感情形成疎外や心理的苦しさ、今後の協働的社会づくりへの不安も生んだ。

 一方で生産や競争の合理一辺倒のあり方に対する疑問や環境や生産主義縮小、小さなコミュニティー形成や分散的IT労働の可能性を探る動きも模索されつつも。

 大学教員としては、リモート講義と対面講義への学生からの可否双方回答はあったが、3年遠隔が続いた結果、学生との個人的意思疎通の困難が増えたという実感はある。

 さらに遠隔授業で他学生が近くにいない方が楽という生身の人間との接触や折衝への忌避には、政治がさらに他者化される危惧もある。

 そして今、南西諸島の甚大な被害をも想定するという日米同盟の台湾「有事」予告編報道。軍事産業の再勃興を日本への爆買い要求で大きく達成したい米国にすり寄っていく日本の中で、どう正気を保って、離島の知人や海や山や動物の命について今次の「安全保障」新戦略路線を考えていいのかという吐き気のような不安と、どう逆らえばいいのかという無力感がごちゃ混ざる。

 こういう文章の最後にいつも書くしかない。諦めない。 (日曜掲載)