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家畜防疫のプロフェッショナル、父の背中を追いかけて…農水省動物衛生課長・石川清康さん<県人ネットワーク>


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 「沖縄、ようやく解除だね」。金武町の養鶏農場で高病原性鳥インフルエンザの発生確認後から続いていた移動・搬出の制限が解除となる前日、ほっとした様子でこう切り出した。制限が続けば続くほど養鶏業者らが受けるダメージは深刻になる。県内の関係者にとっては、待ちに待った日ということになるが、家畜防疫の最前線にいる立場として、そして、県人の一人としても喜びはひとしおだ。

石川 清康さん

 「現場に立つ職員の苦労は身をもって分かる。それに養鶏農家さん、関係業者さんは精神的にもすごく大変。職務を通じて農家さんたちをサポートしていくことも大事だからね」。家畜防疫のプロフェッショナルとして背負う重圧の強さをのぞかせた。

 宜野湾市大山の出身。小、中学校は那覇市の学校に通い、卒業後は千葉県内の高校に進んだ。

 麻布大学獣医学部を経て入省。追いかけたのは、2年前に91歳で亡くなった父親の背中だった。米施政権下の琉球政府で家畜防疫官を務めた父は、沖縄の日本復帰後は農水省職員として動物検疫所に籍を置いた。

 「父とは大学も同じで、獣医学の分野も、国家公務員の世界も身近だった。家畜防疫ではワクチンを使って動物の疾病を制御するのも重要な仕事。そんな大きな『絵』が描ける仕事がしたいと思った」

 これまでに、国内での流行を繰り返してきた鳥インフルエンザのみならず、2000年に宮崎県で92年ぶりに口蹄疫(こうていえき)が確認された際にリエゾン(情報連絡員)として現地に派遣されるなど、数々の家畜伝染病と戦ってきた。1999年、八重山地方の畜産農家を悩ませてきたオウシマダニの撲滅を達成し、同地域からの牛の移動制限解除に立ち会った時のことは特に印象深いという。

 「法定伝染病の『バベシア病』を媒介するオウシマダニの撲滅は長年の課題で、移動制限解除は石垣牛の振興にもつながった。沖縄のためにという思いがあったので特にうれしかった」

 緊急連絡用の携帯電話が手放せない日々はまだ続いているが、還暦間際になり、役人人生のゴールも見えてきた。「今の課題は人を育てること」と力を込めた。
 (安里洋輔)


 いしかわ・きよやす 1965年12月生まれ、宜野湾市大山出身。那覇市立与儀小、寄宮中、千葉県の私立市川高校を経て麻布大学獣医学部卒。獣医学博士。90年、農林水産省に入省し動物医薬品検査所で勤務。消費・安全局動物衛生課家畜防疫対策室長などを経て現職。