休息の場なく「自分が悪い」…仕事、介護に追われうつに<先生の心が折れたとき 教員不足問題>第1部⑤元特別支援学校女性教員


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎
心療内科に通いながら学校勤務を続けていた頃、ストレスからハサミを持ち、髪を切り刻んでふぞろいになっていた。退職から3年。心が落ち着き、髪も伸びた=2022年11月、那覇市内

 学校から帰宅直後、階下の義母から電話が入った。「お父さんの調子が悪い」。同居の義父はがんと認知症を患っていて、家族で介護していた。公務員の夫は仕事の重圧で心療内科に通っている。幼い娘の世話は自分がしなければならない。帰宅後も仕事は続いた。勤務先の特別支援学校の保護者からの相談の電話は、深夜に及ぶことも。自分自身のことを考える余裕は全くないといっていい日々。気付くとハサミで何でも切り刻み、髪の毛はふぞろいで短くなった。

 

■やりがいのある仕事

 特支校で、障がいに応じた教育ニーズに応える勤務は容易ではなかったが、手が掛かるほど生徒たちがいとおしく、やりがいを感じていた。

 私生活は困難続きだった。不妊治療の末、39歳で第2子を出産後、体調を崩した。夫の昇任や転居、慣れない土地での子育てなど環境も目まぐるしく変わり、産後うつで休職した。さらに実家の父は末期がんが見つかり、数カ月で他界した。

 「長く迷惑をかけるわけにはいかない」と休職から数カ月後、通院しながら復職したが、今度は同居している義父ががんに。認知症も発症した。余裕がなくなり、次第に仕事でミスが増えた。

 「自分が悪い」と周囲に相談できなかった。ある日、上司から叱責(しっせき)を受け、さらに落ち込んだ。学校からの帰り道、高速道路のカーブで「そのまま突っ込んで死のうか」と何度も脳裏をよぎった。疲弊しながら運転し、接触事故を起こしたこともあった。

 高校3年の担任だった。「あと3カ月で卒業だ。それまで一緒にいたい」。はいつくばるように学校に向かった。

 

■ドクターストップ

 「私が決めます。ドクターストップです」。心療内科の主治医が病休の決断を下した。「絶対に嫌です」と泣きついた。「あなたはずっと人の世話をしてきた。今度は自分の世話をしましょう」と諭された。ぼうぜん自失となりつつ、どこかで肩の荷が下りたように感じていた。

 「見て。こんなに髪が伸びたの」。あれから3年後の11月初旬、那覇市内の喫茶店で、茶色の長い髪を手ぐしで整えながら笑顔を浮かべた。

 仕事を休んでから、自分の時間を持つことができた。落ち着いて食事をして、家族と会話する。「当たり前の暮らしができていなかったんだ」と気付いてからは、毎日の何気ない生活がとても楽しく、回復も早かった。

 「ライフステージに応じた休暇や支援を教員は受けづらい」と振り返る。「生徒を放ってはおけない。だから休むべきではないという雰囲気があった。今は自分を大事にできていると実感できる」。母親としての時間を確保できた女性は子どもとの何気ない会話を話題においしそうにコーヒーを飲んだ。

(嘉数陽)

 

連載「先生の心が折れたとき」

 精神疾患による教師の病気休職者が増え続けている。文部科学省の調査によると2021年度、全国の公立小中高・特別支援学校で過去最多の5897人。沖縄も過去10年間で最多の199人、在職者数に占める割合は全国で最も高い1・29%だった。心を病んだ理由はそれぞれだが、当事者の多くは要因の一つに、就業時間内に終えられるはずがない業務量を指摘する。休職者の増加は他の教員の業務負担につながり、さらに休職者が出る連鎖が起きかねない。心が折れてしまうほど多忙な教員の1日のスケジュールを取材した。

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