オール沖縄、結集から「分断」…再構築なるか 建白書10年 沖縄の政治情勢を振り返る


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安倍晋三首相(当時、右)に対し建白書を手に要請を行うオスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会共同代表の翁長雄志那覇市長(当時)=2013年1月28日、首相官邸(同実行委提供)

 あの日、一つにまとまった沖縄は今―。オスプレイ配備撤回と米軍普天間飛行場の県内移設断念を求める「建白書」を安倍晋三首相(当時)に手渡して28日で10年がたった。保革を超えた超党派のうねりは「オール沖縄」と称される運動として頂点に達し、後に政治組織「オール沖縄」勢力の呼称でも用いられた。政府は建白書を一顧だにせず、一つにまとまった沖縄は再び「分断」に陥った。建白書が沖縄の近現代史に与えた影響やこの10年の政治情勢を振り返る。

 1995年の少女乱暴事件と2007年の教科書問題以来、高まりを見せていた沖縄の保革を超えた運動は、13年の「建白書」の首相への提出をもってピークを迎えた。米施政下の1950年代に沸き起こった軍用地の接収と地料一括払いにあらがう島ぐるみ闘争や、復帰運動以来の保革を超えた「島ぐるみ」の新潮流だった。

 しかし、米軍普天間飛行場の「県外移設」を主張して当選した自民党国会議員や自民党県連が政府与党に切り崩され、「辺野古移設容認」に転じたことで、新たな島ぐるみの足並みは乱れる。引き続き辺野古移設反対で一致する政党や団体は政治組織の「オール沖縄」勢力として共闘を組み、中央政府との対決構図が強まっていく。

 一度は「県外移設」にかじを切った仲井真弘多知事(当時)が13年末に辺野古埋め立てを承認する方針を政府に伝えると、建白書取りまとめの中心にいた翁長雄志那覇市長(当時)は、14年の県知事選にオール沖縄の候補者として立候補。仲井真氏を破り、県政を奪取した。

 同年の衆院選ではオール沖縄の擁立候補が全4選挙区で勝利する。以後の国政選挙や、翁長氏急逝後の18年知事選でも玉城デニー知事が圧勝するなど、オール沖縄勢は政治運動として確固たる地位を築いた。

 だが、建白書から10年を経て、辺野古移設を巡る状況や沖縄の政治潮流は変化を見せる。18年末に政府は辺野古沿岸域への土砂投入を強行し、翌19年2月の県民投票で埋め立て反対が多数となっても工事を続ける。オール沖縄内部では当初から支援していた経済人の一部が離反するなど保革を超えた結集に陰りがみられ、直近の地方選挙では政権と直結する自民側が盛り返している。

 オール沖縄幹部は「昨今は『台湾有事』という保革を超えた政治課題があらわれてきている。有事を回避するため、もう一度『オール沖縄』で結集したい」と、島ぐるみの再構築に意欲を見せる。
 (梅田正覚)