読谷村の戦略 行政と村民、協働を実践 真喜屋美樹(沖縄持続的発展研究所所長)<女性たち発・うちなー語らな>


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 先日、大型ショッピングモールを訪れた際、沖縄土産コーナーが大きくリニューアルされ充実していて、観光客が増えてきたことを実感した。今月24日の沖縄県の発表によると、2022年の入域観光客数は前年比の89%増で、伸び率は海洋博が開かれた1975年に次いで過去2番目に高かったそうだ。

 沖縄土産の定番といえば、紅芋タルトだろう。周知の通り、この製品の始まりは読谷村の特産品開発事業である。農業による村おこしを掲げる読谷村が特産の紅芋に着目し、地域の人たちと二人三脚で生み出した。読谷の紅芋タルトは、土地の恵みと、地元に対する村民の思いの結晶だ。

 戦後の読谷村の歴史は基地返還と跡地利用の道のりであった。終戦直後、米軍基地は村面積の95%を占め人々は帰る場所を失った。復帰時も73%が基地だった村にとって、基地を返還させて跡地利用をすることは、生活と生産の場をつくるという村民への福祉であった。村民が一丸となった基地返還運動のエネルギーは、跡地利用という村づくりにも生かされた。

 読谷村は地域振興に結びつく跡地利用の柱を農業とした。沖縄県の人口と産業が集中する中南部都市圏にありながら、第1次産業中心の発展構想を立てたところに読谷村の独自性がある。戦前は農業が盛んな村であったが、農地を基地に奪われ農業の零細化を招いた。村は「風土と調和した村づくり」という村の理念に基づき農業に重点を置く足腰の強い地域づくりを展開した。

 近隣の自治体が基地跡地で商業施設中心の再開発を進める中、読谷村は跡地にビニールハウスを造り、村民と共に着々と農業基盤整備を進めた。農地は生産の場であり、「将来の利益を生む場」と位置付けられた。かつて米軍の補助飛行場だった村随一の平野は広大な農地となった。

 村には紅芋タルトで第1次産業を6次産業化し地域内産業連関を作った実績があり、一大産地となった紅芋をはじめ多様な作物を栽培する。脱炭素の推進が社会全体の課題となっている今、農地はグリーンインフラとしての機能も果たす。

 読谷村役場の入り口には、「自治の郷」「平和の郷」と書かれた門柱が立つ。跡地の農地利用以外にも、返還前の基地内に役場庁舎を建設するなど数々の読谷方式を編み出し、中央政府や米軍と交渉し村をつくってきた誇りがある。

 常に自らの足元を深く掘り、村民と協働での村づくりの過程は、村民福祉の充実と地域の発展を背負う自治体の長と役場職員の知恵と工夫に裏付けられていた。この村には、行政と村民が膝を交え共に汗を流して村をつくってきた自治の歴史がある。その来し方を振り返ると、今後の地方自治のあるべき姿を示しているのではないかという希望を持たせる。