異文化やジェンダーの講義を担当していると、学生コメントの中に「知らなかった」「驚いた」というものが散見される。
のどかな島とイメージしていたジャマイカが植民地を脱してなおグローバル経済に振り回されていること、関東大震災で在日の朝鮮半島出身者へ加えられた暴力、世界中で起きている女性への性暴力、沖縄で米軍基地建設にあらがう人々の涙や笑顔、建設による自然破壊、アニメや漫画におけるジェンダー表現の功罪などなど。
既知のことを学生に語ってばかりはいられないのでそれなりにネタはこねくり回して提供するのだから驚かれるのもまたよし、とも思うのだが、コメントには一歩踏み込んでくるものもある。
「こんなことはもっと知りたいし、できれば基地反対の人々にも会いたい。でも大学での授業の後すぐバイトに行く日々では時間が取れない。先生は軍事費を学費免除に替えられると言うけど、それでバイトを削れたら、授業で知ったことをもっと深められるのに」というものだ。
家にお金を入れているというコメントもある。
家計が苦しくても大学生は生活保護も受けられない。先進国の中で、最も教育に金を使わないとされる日本は、学びを深め、社会を、世界を知りたいという若い世代の可能性を残酷にしりぞけているとしか感じられない。そして彼女ら彼らから、社会で起きる、また時に政権が起こす少数者差別の言動をまっとうに批判する力も奪っている。
情報ならSNSにあふれ返っている。ただ、発信される言葉の背景や歴史的文脈をじっくりと考えられず、少数者をたたいて留飲を下げるような、それに反論し真面目に歴史や現実を語ろうとすると「論破」のテクニックを駆使して相手が滑稽に見えるところへ落としこむ様を見せられることにも直面している。
それでも、自分たちにはじっくり問い直し続ける時間がない、というのが若い世代の置かれた苦しい状況でもあるだろう。
「暇」がない。大学生は暇でいいよね、とよく言われた40年ほど前の、私たち世代が持ち得たのんきな「暇」。それは大学の勉強などおかまいなく本や映画や音楽に接しながら、考えたいことを考えられる時間だった。
一方で若い世代が「忙しすぎる」のは政権には都合もいいのだろう。
数十年前、若者は選挙に来ないで寝ててほしいと言った元首相も、最近同様の発言が判明した栃木県連副会長も、自民党所属だ。
若い有権者が知識や批判力を得られずにいることは、むしろ選挙を有利にする意図的な政策だとすれば奏功してもいるかと考えると、目の前が暗くなる。 (日曜掲載)