沖縄戦研究者で県歴史教育者協議会委員長を務めた平良宗潤(たいら・そうじゅん)さんが10日午後9時40分、病気療養中のところ沖縄県糸満市の自宅で死去した。82歳。糸満市出身。自宅は糸満市与座。告別式は15日午後2時から2時45分、南風原町津嘉山1679の1の拓商セレモニー会館で。喪主は妻幸子(さちこ)さん。
国費留学生として東京学芸大に進学。卒業後、高校社会科教諭として1963年から2001年まで糸満高などで教えた。平和教育の第一人者として、在職中から琉球大、沖縄国際大で非常勤講師を務め、後進の指導にも当たった。
高校日本史教科書における、沖縄戦下の日本軍による住民虐殺の記述に対する文部省(当時)の意見など教科書検定制度の違憲性を問う1988年の第3次家永訴訟那覇出張法廷に原告側の証人補佐として出廷。「集団自決」(集団強制死)における日本軍の強制・関与の記述を削除した文部科学省の検定意見撤回を求めた2007年の県民運動でも積極的に発言した。
そのほか、日本戦没学生記念会(わだつみ会)理事、不屈館運営委員長、豊見城村史編集委員、糸満市史編集委員長など戦争と平和、歴史に関わる活動に携わった。