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秘書官オフレコ発言 「知る権利」への認識欠く<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 今回の連載は病室で書いている。8日午後、主治医から「昨日採血した血液を培養した結果、細菌に感染していることが明らかになった。緊急入院してほしい」という連絡があった。その後の日程を全てキャンセルし、都内の大学病院に入院した。菌血症で放置しておくと敗血症になり生命の危険がある。入院期間は2~3週間の予定だが延びる可能性も排除されないとのことだった。しばらくは「ウチナー評論」も病室で書くことになる。

 去年は1月に慢性腎臓病が悪化し血液透析の導入、3月にはがんによる前立腺全摘手術、8月には心臓の冠動脈狭窄(きょうさく)が見つかりステント(金属の輪)を血管に入れた。そして今回は菌血症だ。「病気のデパート」のような状態だ。筆者はキリスト教徒なので命は神から預かったものと考えている。この世でまだ行わなくてはならない使命があるので、医療専門家の助力を得て筆者は生きながらえていることができているのだと思う。

 人生の残り時間をますます意識するようになった。沖縄に役立つ仕事を優先しなくてはならないと考えている。天国で母(久米島出身)と再会したときに、母に報告できる沖縄についてのよい話を一つでも多く持っていきたいと思う。

 今回はオフレコに対する記者の扱いについて考えてみたい。岸田文雄首相は4日、性的少数者や同性婚を巡って「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などと3日に差別発言をした荒井勝喜首相秘書官を更迭した。ネット空間では、オフレコ破りではないかと報道を非難する声が少なからず見受けられる。そのような非難はオフレコの本質を理解していない筋違いの話だ。

 2011年11月29日、田中聡沖縄防衛局長が解任されたが、これは前日のオフレコ会談での田中氏の発言を「琉球新報」が事前に沖縄防衛局に通告した上で行ったものだ。この事例がオフレコの本質をよく示している。

 筆者も外務官僚時代には、オフレコでさまざまな情報を記者に提供したことがある。オフレコには2種類ある。第一は、オフレコ・バックブリーフィング(背景事情説明)だ。この場合、情報源として私の固有名詞はもとより、日本外務省であることも伏せるというのが約束だ。内容については記事にしても構わない。記者は、情報源について西側外交筋とか日ロ関係筋と記す。

 第二は、完全オフレコだ。情報源はもとより、話した内容についても秘匿するという約束での説明だ。完全オフレコで記者に説明をするのは、現状では公表できないことであっても、それを内々に記者に伝えることによって、誤解に基づく誤った報道が国民に伝わらないようにするためだ。もちろんそこには政策を政府が思う方向に誘導したいという思いもある。官僚は仕事としてオフレコで説明している。

 記者も仕事として、オフレコの条件で取材している。記者の職業的良心は国民の「知る権利」に奉仕することだ。情報の内容によって、「知る権利」と「オフレコという個人的約束」をはかりに掛けて、「知る権利」の方がはるかに重ければ、オフレコは破っても構わないのだ。これが記者の職業的良心に基づく行動だ。荒井勝喜氏にはこの認識が欠けていたので、官邸の番記者を「身内」と勘違いして、暴言を吐いたのだと筆者はみている。

(作家、元外務省主任分析官)