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取材は報じるため オフレコ必要な側面も 取材の自由㊦<山田健太のメディア時評>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 11日付の前編で脱オフレコを求めはしたものの、報道現場ではこうした取材手法が一般化し、定番にすらなっている。たとえば逮捕された容疑者の様子は「警察(検察)関係者」の言葉として伝えられるし、官邸の話にも「政府高官」がよく出てくる。いずれも実名ではない「○○筋」記事だ。

 情報公開制度の法や運用が不十分で、本来誰もが知りうるべき公共的な基礎情報すら、政治家や警察等の行政の手で隠される傾向が強い日本では、ジャーナリズムの役割が一段と重要だ。しかも市民のプライバシー意識の高まりを悪利用する形で、一層公権力の情報秘匿の壁が厚くなっている。そうしたなかで、市民の知る権利に応えるため、十分に背景を理解したり非開示の情報を少しでも早く入手するために、素性をぼかすことが必要な場合があることを否定はしない。少しでも闇や霧に隠れる「事実」を照らすための、日本型の取材の工夫という側面があるからだ。

 こうした現実を踏まえ後編では、差別発言から報道に至るまでの経緯に焦点を当て、具体的に何が起きたのかをみていきたい。

遠慮は禁物

 今回の一件は、直前の岸田首相の国会答弁の本質を表す発言内容であり、同時に杉田水脈議員を政務官に起用するなどの文脈上からも、政治的にも大きな報道価値がある。しかも発言者は首相のスピーチライターといわれており、場所もほぼ毎日定期的に行われている官邸内での非公式会見だったことから、報ずべき条件がそろっていたと考えられる。あわせて今回の場合は、前稿で述べた「あえて」報じるうえでの手順を踏んだことが、紙面上で報告されている。

 それからすると、最初に一報を流した毎日新聞の、現場記者の感性と反射神経、それに応じた組織判断を評価しつつも、4日朝刊の記事は降版時間直前のニュースであったこともあって、残念ながら社会面での小さな目な扱いだった。最近では一般化しているが、このニュースもウエブ・ファーストの扱いで、3日深夜にはオンライン記事として配信されている(22時57分)。これを受け荒井氏本人が23時半ころに発言撤回の会見を行い、報道各社も日付が変わったころから順次、ウエブ上で追いかけることになった(共同通信は、23時27分に番外を配信)。

 紙の新聞とともにウエブ情報が、政治的にも影響を発揮する時代であることを痛感すると同時に、紙面が小さな扱いだったことを考えざるを得ない。なぜなら、政治との関係で相手方に与える「隙(すき)」の一つは、報道側の「遠慮」だからだ。先の西山記者事件でも、せっかく入手した電文であったにもかかわらず、紙面化されたのは政権に決定的な打撃を与えるような大きな記事ではなく、小さな扱いだった。

逆バッシング

 今回は、通信社も後追いし本人が会見を開いたことで事実上のオフレコ解除が行われ、各社が報じた様子が伺われる。最初の記事だけだったら、うやむやに終わっていた可能性を否定できないのではないか。本人の撤回発言がなければ、各社とも報じなかった疑いがあるからだ。それどころかオフレコ破りの批判が起きて、独り善がりの記者・新聞社との誤ったマイナスイメージが醸成され、ネット上で逆バッシングが起きても不思議ではない状況だったと思われる。

 その結果は、報じなかった記者が政治家や官僚に重宝され、私たちの知る権利はどんどん骨抜きにされることになる。そうならないためにはまず、現場の記者が良心に従い踏み出せるかにかかっている。ジャーナリズムとは、「いま報ずべきことをいま報じること」であり、取材は報じるためにするものだ。

(専修大学教授・言論法)