沖縄返還での日米密約を報じ、24日に91歳で死去した元毎日新聞記者西山太吉さんは、近年まで安全保障問題や報道の自由について積極的な発言を続けた。訴訟を通じて親交のあった知人らは26日、「国に立ち向かう熱意があった」「事実を追い求めていた」など信念をたたえて死を悼んだ。
西山さんは外務省機密漏えいを巡り有罪が確定した後、密約を裏付ける事実が明らかになったことを受け、2005年に国に謝罪や損害賠償を求めて提訴した。訴訟を提案し、代理人を務めた藤森克美弁護士(78)は「国に対する怒りをエネルギーに変え、周囲を動かすような熱意があった」と評価する。
訴訟は除斥期間などを理由に08年に敗訴が確定したが、法廷で報道の正当性を主張できたことが西山さんの名誉回復につながったと考える藤森弁護士。昨年6月ごろ、西山さんから今後も精力的に行動を起こしていきたいとの連絡があり「衰えた印象は受けず、もっと活動を続けるものと思っていた」と惜しんだ。
同じく開示訴訟に原告として加わったノンフィクション作家の沢地久枝さん(92)は「首尾一貫して闘い続ける姿勢は立派だった」と語る。数年前に沢地さんが北九州市を訪れた際には、西山さん夫婦に車で各地を案内してもらったという。「元気な様子だった。亡くなるとは思わず驚いた」と話した。