台湾と琉球・沖縄 互いの立場尊重し交流を 知念ウシ(むぬかちゃー)<女性たち発・うちなー語らな>


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知念ウシ(むぬかちゃー)

 2月27日から3月2日、台湾へ行った。「台湾228事件真実を求める沖縄の会」(青山惠昭代表世話人)主催の「2・28事件と牡丹社事件、沖縄と台湾のハザマを考える」という旅に参加したのだ。総勢20人。いくつか報告したい。

 まず2・28事件とは、1947年に中国大陸から台湾へ入った国民党政権による全島的な住民弾圧のことで、1万8千~2万8千人の死者を出した。沖縄出身者も亡くなり、その遺族も被害認定と賠償を求めてきた。外国人として初めてそれらを得た青山さんが、台南市での76周年記念追悼中央式典へ招待され、私たちも共に参列できることとなった。

 蔡英文総統もスピーチしていた。強い日差しと白い天幕下の式典は、45年の沖縄戦、48年の朝鮮済州島の4・3事件も連想させ、暴力の続く東アジアを思った。2・28事件の真相解明は台湾民主化の歩みの一つでもあり、他の沖縄遺族の認定と賠償が早く認められるように応援したい。

 式典後、さらに南下し、1871年の遭害事件(台風で漂着した宮古島の貢納船の69人のうち54人が台湾の先住民族に殺害された)の犠牲者の墓を見舞った。そこには日本軍がつくった「大日本琉球藩民五十四墓」の碑銘もあった。

 翌日は、その原住民(台湾での呼称)の村、牡丹郷を訪ねた。すると、役場の入口の電光掲示板は私たちの訪問を喜ぶ「歓迎日本沖縄参訪団蒞臨指導」が輝き、中に入ると職員が拍手で迎え、郷長(村長)は歓迎式典をしてくれた。驚いた。郷長のあいさつは「お帰りなさい」から始まり「海で隔てられているけれど私たちは家族です」というものだった。

 来年は牡丹郷から宮古島を訪ねたいそうだ。2・28式典でもこちらでも感じたのは、粘り強い青山さんや、沖縄・台湾関係史の研究者で丁寧なフィールドワークを通じて現地の人々と信頼関係をつくってきた又吉盛清先生、誠実な旅行社による長年の取り組みの成果で、私(たち)はその場に居られることだ。

 遭害事件では、琉球人は被害者側だが、その事件の報復を口実に日本は台湾に出兵し(牡丹社事件)、琉球と台湾の植民地支配(琉球処分、台湾処分)へとつなげる。台湾植民地下では、琉球人はその日本統治に加担する側となる。関係は複雑だが、これまでの共同研究と交流で謝罪が交わされ、それぞれの立場を尊重した上で、共に未来を夢見る仲間としての意識を育てている。平和とはこうやって構築していくのだと実感した。

 台湾には戦争が迫るという危機感はなかった。沖縄で私たちがあおられているのだ。日本帝国敗戦必至の中、時間稼ぎのために捨て石として利用された沖縄戦の被害も加害も繰り返したくない。今後も台湾と琉球弧をつなげ交流したい。