100年前、ペルーに渡った三線が沖縄に『帰郷』 県系3世セサルさんが修復し寄贈 響く「コンドルは飛んでいく」 


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照屋勉与那原町長(左)に修復した100年以上前の三線を寄贈するファロ山口セサルさん=与那原町役場

 【与那原】三線製作や修繕の技術を学ぶため、県費留学生として来沖しているペルー出身の県系3世、ファロ山口セサルさん(34)がこのほど、与那原町役場に照屋勉町長を訪ね、104年前、与那原からペルーへ渡った三線を町に寄贈した。セサルさんの友人で県系4世の喜屋武順美(なおみ)さんの曽祖父・金城加盟さんが1919年に与那原からペルーへ移民した時に渡った三線で、セサルさんが留学中に修復した。セサルさんは「三線が古里の与那原へ戻り、とてもうれしい」と喜んだ。

 三線は真壁型で、大正時代に作られた物。棹(さお)はユシギが使用され、胴はニシキヘビの皮ではなく、南米に生息するボア科のヘビ皮が張られていた。セサルさんを指導する県三線製作事業協同組合の岸本尚登副会長は「最初はニシキヘビだったが、傷んでしまいペルーで張り替えたのでは」と推測する。

三線を持って与那原からペルーへ移民した金城加盟さん(前列左から3人目)と家族ら(与那原町提供)

 セサルさんは、約1カ月間、天と呼ばれる棹の頭の部分と、棹と胴の接続部分にあたる爪の修復作業に取り組んだ。胴と胴巻きは傷んでいたため、新品に交換した。

 自身も与那原にルーツを持つセサルさんは、寄贈式で照屋町長の前で三線を手に取り、ペルーのフォルクローレ「エル・コンドル・パサ(コンドルは飛んでいく)」を弾き、しっとりとした音色を響かせた。

 セサルさんは「100年たつが、深みのあるきれいな音が出る」と絶賛。照屋町長は「異国の地で苦労された県系人の皆さんを励ましてくれた三線だと思う。その三線が与那原に戻ったのは大変感動的だ」と語った。

 セサルさんは3月に研修を終え、同月21日に帰国する予定だ。セサルさんは「ペルーには壊れた三線が多くある。沖縄で学んだ技術を生かし、三線を修理して沖縄の文化を広めたい」と意欲を示した。
 (金城実倫)