沖縄在住の岩手出身者も駆けつけ「震災を忘れないで」 岩手日報、特別号外を那覇で配布 東日本大震災12年


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在沖縄岩手県人会美らめんこい会の千田智英子さん(右)と照屋敬子さん=11日、パレットくもじ前交通広場

 東日本大震災から12年を迎えた11日、岩手県の県紙・岩手日報社(盛岡市、川村公司社長)が、那覇市のパレットくもじ前交通広場周辺で特別号外500部を配布した。震災後、募金活動などで被災地を支援するなどしてきた「在沖縄岩手県人会美らめんこい会」のメンバーも配布に協力。配布者は「これからも震災を忘れないでほしい」という思いを込め、号外を道行く人々に手渡した。

 特別号外は全8ページ。フロントは「育む希望 届ける感謝」という見出しで、逆境から前へ進もうとする岩手の現在を伝える。岩手の宮古市と姉妹市村である多良間村の小中学生によるオンライン交流なども紹介している。

 号外発行は毎年続き、今年で12回目となった。那覇のほか東京や京都でも配布した。沖縄の熱い日差しが照り付ける中、号外を配った同社の郷右近(ごうこん)勤総務企画部長(56)は「3月11日に震災を思い出し、防災意識につなげていただければ」と話した。配布には琉球新報社や沖縄タイムス社の社員も協力した。

 めんこい会からは、会計の千田智英子さん(71)=那覇市=と照屋敬子さん(75)=豊見城市=が、新聞報道で号外配布を知りボランティアで駆け付けた。

 千田さんは、水沢市(現奥州市)出身で1974年に沖縄へ移り住んだ。震災の津波をテレビで見て「心が空っぽになり、ショックだった」と振り返る。時間が経過し「私も含めだんだん忘れかけてきているが、岩手日報があると当時を振り返るきっかけになる」と強調した。

 二戸市出身の照屋さんは「岩手と沖縄の架け橋になりたい」という強い気持ちで号外を配った。豊見城へ引っ越した直後に震災が発生し、大きな衝撃を受けた。復興と共に、大谷翔平選手(エンゼルス)や佐々木朗希投手(ロッテ)といった岩手出身の野球選手らの活躍に誇りも感じている。「彼らの活躍を喜ぶと同時に、震災を決して忘れないでほしい」と願った。

(金良孝矢)