ポスト沖縄振興計画 沖縄県全体発展へ地域連携を 真喜屋美樹(沖縄持続的発展研究所所長)<女性たち発・うちなー語らな>


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 うららかな春の日、マスクなしの笑顔がこぼれる観光客でにぎわう首里城の様子にコロナを経て新しい時代が始まったことを感じる。まもなく4月1日、沖縄県も復帰50年の節目を経て新年度が始まり次の半世紀への一歩を踏み出す。

 復帰50年のスタートとともに、「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」が始まった。この計画は沖縄の経済社会をどう発展させるかという地域開発の根本となるものだ。復帰後の沖縄の地域開発は1972年の沖縄振興開発計画が原点だ。同計画は10年ごとの時限立法を法的根拠に国が承認し、第1次から第5次まで50年にわたり国の責務として進められてきた。

 「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」は事実上の第6次計画となる。基地を維持したまま行われてきた国土計画の一部でもあるこれらの振興計画が、果たして沖縄に何をもたらしたのかという問題は、今後さらに重要な位置を占めるだろう。

 「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」は、本島中南部にある約1000ヘクタールの米軍基地の跡地利用を「本県の新たな発展の方向性を示す鍵」と記す。しかし、跡地利用を沖縄の地域開発の中核と位置付けるものの、県全体を俯瞰(ふかん)した県土構造再編の中でどういう役割を持たせるのかのビジョンに乏しい。

 広大な面積を持つ基地は那覇港湾施設、牧港補給地区、普天間飛行場である。これらの基地がある自治体は、基地があるがゆえに戦後長らく市民が暮らしやすい都市計画を実行できず、基地は都市のあり方を規定してきた。

 基地返還は都市再生の機会となるが、返還を目前に控えた牧港補給地区で生じている軍港移設計画に見るように、返還されても新たな軍事施設によって都市再生が阻害される。軍港移設は人々に開かれた海浜を失うだけでなく、軍港に通じる道路計画にも影響を及ぼすだろう。

 さらに近隣の観光開発をみると、南部地域が新たなリゾート地として注目されリゾートホテルが進出している。空港から車で20分というアクセスの良さは、那覇港湾施設や牧港補給地区が返還された後の都市としてのポテンシャルと重なる。

 発展の種地であるはずの跡地を抱える自治体と地権者は返還時期も定まらない中、周辺で進む再開発を横目に跡地利用への不安と焦りを持つのではないだろうか。他方、振興計画で地域開発の方向を明確にし、それを元に軍港移設を規制し個別の再開発を調整する可能性はある。

 未来の沖縄をつくる地域開発をどのように行うのか、地域ごとにどんな役割を持たせ連携して全体を発展させるのか、ポスト沖縄振興計画に向けて行政と市民の力を発揮する時が来ている。美しい沖縄を未来世代にも残したい。沖縄の自治力に希望を託す。