現役引退の喜友名、金城、上村氏インタビュー 空手への思い、そして今後 師が3人に期待すること


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左から上村拓也さん、金城新さん、佐久本嗣男さん、喜友名諒さん、清水由佳さん=26日、那覇市泉崎の琉球新報ホール(喜瀬守昭撮影)

 東京五輪で金メダル、世界空手道選手権大会の男子形で史上初の4連覇、全日本空手道選手権大会10連覇―。沖縄が発祥の地とされる空手の世界で、数々の前人未踏の栄冠を勝ち取ってきた喜友名諒さんが1月、現役を引退した。強さだけでなく礼節を重んじ、沖縄文化の精神性の高さを世界の人々に発信した。その姿は県民の誇りでもあった。喜友名さんが東京五輪後に「一人では絶対に目指すことができなかった」と振り返る頂きの数々。その道のりには、ライバルとして競い合い、チームメートして共に世界選手権を連覇した金城新さん、上村拓也さんがいた。一緒に引退を表明した3人の空手への思いと今後の活動、彼らを指導してきた佐久本嗣男さんと、清水由佳さんから3人へのエールを聞いた。 (藤村謙吾)

喜友名諒氏 「挑戦する師の背中見てきた」

 

東京五輪の空手男子形決勝で演武する喜友名諒さん=2021年8月、東京の日本武道館

 幼稚園のとき、友人が空手を習っていると知ったその日に、両親へ「自分もやりたい」と思いを伝え、自ら空手道を歩み始めた。「やるならしっかり続けなさい」という両親の言葉を胸に練習に励み、中学2年で全国の頂点に立った。中学3年のときに訪れた劉衛流の道場で、当時世界選手権を既に制していた清水さんら日本代表のメンバーが、佐久本さんの指導の下、汗を流す姿を見た。

 道場のガラス窓が曇るほどの熱気。頭から湯気を上げながら、肢体を躍動させる佐久本さんの姿を追い、脇目も振らず稽古に没頭する門下生たち。喜友名さんは「小学生や中学生が、日本代表の先生方と一緒に『熱い』稽古をしていた。あのときの衝撃は今も覚えている」と話す。

 佐久本さんに「365日稽古できるなら来い」と言われて劉衛流に入門してから17年、師との約束を守り鍛錬を重ねた。清水さんをはじめとする世界を制した先輩たちのおかげで、「世界で勝つ」ために必要な心構えや稽古量ははっきりとイメージできた。勝てない時期もあったが、頂きに向けて歩みを進め続けた。

 2014年に初めて世界選手権個人形で世界一になり、16年には共に競技人生を歩んだ金城さん、上村さんと3人で、念願だった表彰台の頂点に立った。21年には東京五輪空手男子形で金メダル。引退会見で「選手としてやれることはやったのではないかと感じていた」と語ったほど、充実した現役生活だった。

 喜友名さんは「選手として全力でやってきたこれまでの経験を基に、沖縄、日本、世界の子どもたち、次の世代に空手を伝えていきたい。空手を知れば知るほど、さらに深く研究していきたいと思うようになった。常に挑戦をする佐久本先生の背中を見てきた。自分も常に向上心を持ち、何ができるか考えて行動に移していきたい」と、現役時代と変わらない鋭い眼光で次のステージを見据える。

空手世界選手権の男子団体決勝で演武する(左から)喜友名諒さん、上村拓也さん、金城新さん=2018年11月、マドリード

金城新氏 「空手の良さを広めたい」

 両親の「強くなってほしい」との願いを受け、小学2年から空手を始めた。中学生のとき劉衛流の道場を訪れ「こんな世界があるんだ。こんな練習をしたら先生方のような世界一の選手になれる」と感銘を受けた。それから喜友名さん、上村さんと互いに鍛え、かつて自分が憧れのまなざしを向けた先輩たちと同じ、世界一の選手になった。

 人前に出て話すのも苦手で、大会に出るのも嫌だったという金城少年の空手に対する心構えは、佐久本さんとの出会いで大きく変わった。「佐久本先生はいつも『素直さ、謙虚さ、思いやり、気配り、感謝の心、これらをしっかり持って何事にも取り組みなさい』と指導されていた。空手の技術だけでなく、人間性も高めてくれた。新しい世代の子どもたちに、人としての在り方を教えられるよう、もっと勉強をし、空手の良さを広めていきたい」

上村拓也氏 「自分の空手見つめ直す」

 父親の影響で空手を始めたきょうだいの後を追い、自身も道場に通うようになった。中学生で初めて劉衛流の道場を訪れ、今まで感じたことのない熱量に感銘を受けて入門を決意した。しかし憧れとは裏腹に、「簡単に入りたいと言って良いものか」と悩み、入門するまで数度の道場通いを要した。思慮深い少年は己の技を突き詰め、勝つこと、やってきたことを信じて稽古を重ね、世界選手権優勝の栄冠も手にした。

 「空手に出合い、佐久本先生、清水先生、劉衛流の先生方に出会い、今がある。自分はまだ半人前。先生や先人の教えを、学び直したい。突きや力の入れ方など、もう一度、いろいろな角度、視野から自分がやってきた空手が正しかったのか見つめ直そうと思う。そして表には見えないような空手の素晴らしさを子どもたちや、空手に興味がない方にも伝えていきたい」

 


<3人へのエール>

 

佐久本嗣男氏 「彼らが次世代育てる番」

 

 喜友名さん、上村さん、金城さんの現役時代について佐久本さんは「入門当初から、熱いものを感じた。当時現役だった清水コーチたちの心構えが伝わったのだと思う。そして3人とも、努力の天才。勝って当然の稽古量を積んでいたので、世界大会でも負ける気がしなかった」と評する。

 一子相伝だった劉衛流は、1970年に名護高校空手部顧問になった佐久本さんが、同流の宗家四代・仲井間憲孝氏に師事し、門戸が開かれた。以後、佐久本さんは「自身の人生を分け与える覚悟」で弟子と向き合ってきた。

 また、宗家・仲井間家には「武道家である前に人でありなさい」との家訓がある。3人は家訓に倣い、自身を支えてくれた師匠やOB、家族への感謝を胸に、素直な気持ちで、佐久本さんをはじめとする先輩たちから学んだことを吸収してきた。

 劉衛流の家訓、佐久本さんの精神は門下生に受け継がれ、その積み重ねが3人を世界の頂点に立たせた。

 佐久本さんは「樹木希林さんが『時期が来たら、誇りを持ってわきにどけ』と言っていた。私ももう、その時期。次は喜友名たちが新しい世代を育てる番だ。こびず、群れず、今までの流れを大事にしながら逆風があっても流派の皆と、明日を担う子たちのために頑張る気持ちを持ち続けてほしい」と期待した。

清水由佳氏 「“人のために”を第一に」

 

 清水さんはこれまで、師匠の佐久本さんが自分の命を燃やして、本気で空手と向き合う門下生と向き合い、彼らの夢をかなえる姿を見てきた。「勝ってきたという体験談だけを、道場の現場に落とし込むのは一番危険だ」とし、「人のために」という考えを第一に、分野にとらわれず学び直しをする大切さを説く。

 「コロナを乗り越えて東京五輪開催を成し遂げた世代が、未来の人類のピンチには立ち上がってくれる気がしている。だから喜友名、金城、上村も焦らず、空手という狭い分野から一度離れ、社会経験をいっぱい踏み、培った人材を生かして、いざというときに団結してくれたらいい」と期待する。

 「どこからか課せられて自分の人生を人のために費やすのではなく、私たちに人生を費やしながらも、どこか生き生きとしている佐久本先生のように、主体的に人のために動く人になってほしい」