自身の感受性信じてこそ 「穏やかな日曜の朝」に向けて 宮城さつき(フリーアナウンサー)<女性たち発・うちなー語らな>


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 初めまして。女性たち発うちなー語らな、第1日曜を担当することになりました宮城さつきです。半年間どうぞよろしくお願い致します。さて「日曜の朝」という言葉の響き、皆さまはどう感じるだろうか? お仕事の都合にもよるかとは思うが、日常の忙しさから解放され、ゆったりと心休まるひとときではないだろうか。

 日曜の朝と聴いて頭に浮かぶ詩がある。茨木のり子の「食卓に珈琲の匂い流れ」だ。「やっと珈琲らしい珈琲がのめる時代一滴一滴したたり落ちる液体の香り静かな日曜日の朝食卓に珈琲の匂い流れ、とつぶやいてみたい人々は世界中でさらにさらに増えつづける」と結んでいる。

 茨木のり子と言えば、戦後を代表する女性詩人の一人。青春時代に戦争を経験している。その詩の多くは、真っすぐな感性で時代を鋭く射抜く強さを感じる。折々に触れ、私は彼女の詩を思い出す。

 「わたしが一番きれいだったとき」は読み返す度、胸を刺す。

 「わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差しだけを残して皆発っていった」

 先日、ひめゆり平和祈念資料館を訪れた際にも頭をよぎった。本来であれば、一番楽しくて、淡い恋に、おしゃれにと青春を謳歌(おうか)し、きらきらした色彩に彩られる年頃であったろう、ひめゆりの乙女たち。その全てが奪われ灰じんに帰したのだ。沖縄戦から78年。果たして今は「戦後」なのであろうか? タレントのタモリさんが、昨年末、テレビ番組「徹子の部屋」で2023年はどんな年になりますかね? と問われ、「新しい戦前になるのでは?」と語った言葉が記憶に痛烈だ。歴史は常に戦前、戦中、戦後を繰り返してきた。

 世の中は、さまざまな情報の波にのまれ、何を信じていいのか悩む人が多いのも現実だろう。そうした時ほど、信じられるのは自分自身なのだと教えてくれたのもまた茨木のり子の詩だ。「倚(よ)りかからず」と「自分の感受性くらい」である。

 「じぶんの耳目 じぶんの二本足のみでたっていてなに不都合なことやある」

 「駄目なことの一切を時代のせいにするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」

 どちらも背筋が伸びる詩である。おだやかな気持ちでコーヒーを味わえる日曜の朝を迎え続けるために、しっかり足元を見つめたいと思う今日この頃である。

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 みやぎ・さつき フリーアナウンサー。舞台朗読「沖縄可否の会」代表。映画やドキュメンタリー番組のナレーション、司会、舞台朗読など県内外で活動中。2022年設立の金井喜久子プロジェクト実行委員会発起人。その音楽と人間力にフォーカスし、魅力発信に努めている。