両親の思い出コラムに 24年前の紙面は「家宝」 書家・仲里光雲さん 本部町出身 きょうから新聞週間 


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24年前に同じ日に他界した両親の思い出を語り合う仲里光雲さん(中央)と妻の信子さん(左)と、コラム「金口木舌」を執筆した慶田城健仁さん=3月30日、那覇市内

 書家の仲里光雲(本名徹)さん=沖縄県本部町備瀬出身=が24年前、80代で他界した自身の両親のことをつづった本紙1面コラム「金口木舌(きんこうもくぜつ)」(1999年3月22日付)を“家宝”として保管し、孫に両親の人柄や思い出とともに伝えている。2人とも高齢による病死で、99年3月14日に、父親の清健さん(享年87歳)が亡くなった約4時間後に、母親の静子さん(享年86歳)が他界した。両親の仲むつまじさは近所でも評判だった。コラムはうちなー芝居の名作「泊阿嘉」に絡めて、夫婦の絆を伝えた。

 コラムを執筆したのは琉球新報社元記者の慶田城健仁さん(71)。書道美術振興会事務局(琉球新報社内)が橋渡しし、3月30日に那覇市の仲里さん宅で2人の初対面が実現した。仲里さんは「両親のことが見事に書かれており驚いた。遺影はあっても人柄を伝える記録はほとんどない。このコラムがあれば、旧盆や行事の席で子々孫々に語り継いでいける」と感謝を伝えた。

 慶田城さんは99年3月当時、北部報道部長だった。同じ日に亡くなった夫婦が連名で掲載されている新聞の告別式広告が珍しく、取材を思い立った。初七日に喪家に電話取材した。「ロミオとジュリエットか泊阿嘉のどちらをコラムの書き出しにするか迷い、うちなー芝居を選んだ」と振り返る。泊阿嘉は悲恋だが「ご両親は不朽の愛。24年前のコラムが長年にわたり生き続けている。記者みょうりに尽きる」と言葉をつないだ。

 仲里さんは25年忌に合わせ、両親の遺影とコラムを収めたパネルをつくり、3月に催した法事の会場に掲示し親戚に披露した。写真パネルは自宅では仏壇のそばに、大切に掲げられている。 (高江洲洋子)