中城村、戦時中の疎開先と絆を深め 熊本・田底校区の住民と交流、戦争体験継承も


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学童疎開を体験した安里清一さん(前列左から2人目)、多和田真隆さん(同3人目)、新垣雅裕さん(同4人目)、熊本市の田底地区活性化推進協議会の田中幸雄さん(後列中央)、平和学習に力を入れる中城村の比嘉良治教育長(後列右)=7日、中城村護佐丸歴史資料図書館

 【中城】沖縄県中城村では、戦時中に疎開した子どもたちの疎開先となった熊本県熊本市田底校区(当時・田底村)との交流が続いている。深刻な過疎化に直面し、交流人口の増加を目指す同区の田中幸雄さん(43)が7日、村を訪れ、元疎開学童らを招いて特産の芋焼酎を贈呈した。田中さんは「沖縄の学童疎開体験者が沖縄に向かって手を合わせていたという話を聞き、とても印象に残っている」と話し、戦争体験者が少なくなる中、沖縄との交流を通じて戦争体験の継承を目指したいとしている。

 7日、村護佐丸歴史資料図書館で行われた芋焼酎の贈呈式には、元疎開学童の安里清一さん(88)、多和田真隆さん(85)、新垣雅裕さん(83)が出席した。中城国民学校の引率教員だった父を含め、家族6人で疎開した多和田さんは「小学1年だったが田底のことは印象に残っており、第2の故郷だと思っている。何かにつけて田底のことを思い出していきたい」と語った。

 中城村では1944年8月、津覇校と中城校の学童らが熊本県に疎開した。同年7月にサイパンの陥落で学童疎開の政府方針が決定。沖縄での地上戦を見据え、口減らしの目的や将来の戦力を温存する狙いがあった。

 親元を離れ、子どもたちは丸2年、「やーさん、ひーさん、しからーさん(ひもじい、寒い、寂しい)」と言われる厳しい生活を送った。10・10空襲や、沖縄戦で甚大な被害を受けた沖縄に残る家族の無事を案じる日々だったという。

 中城村は、村内での沖縄戦調査と並行し、2019年と20年に田底で現地調査を実施。疎開児童らを受け入れた人や元同級生などから聞き取り、その成果を企画展や冊子にまとめて紹介した。贈呈式に同席した比嘉良治村教育長は「子どもたちに戦争体験を継承していくことはわれわれの使命だ」と話し、20年に一度実施した中城小と田底小をオンラインでつなぐ平和学習を再開させる考えを明らかにした。

 田底校区は過疎化がとまらず、田底小の在籍児童が100人を切るなど深刻な状況だという。22年、地域活性化につなげようと、住民らでつくる「田底地区活性化推進協議会」が区内の遊休地に植えたサツマイモを原料とする芋焼酎を開発。収益は地域活動に活用するという。

(中村万里子)