ボリビアで守る先祖供養 ウチカビ自作、位牌は沖縄で調達し2世、3世に受け継ぐ


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県系2世の男性は、手作りの型でウチカビを作る(今年3月、ボリビアオキナワ移住地)

 沖縄では家族が墓前に集い、ごちそうや花を供えて先祖供養する「清明祭(シーミー)」の季節を迎えている。戦後、移民としてボリビアに渡ったウチナーンチュたちは、どのように先祖供養しているのだろう。県出身で、東北大学大学院博士後期課程で日系移民史を研究する小山あゆみさん=宮城県=が3月、現地で詳しく調べた。物がない状況を工夫で補い、ウチナー文化を大切にしてきた姿が見えてきたという。

 ボリビアのオキナワ移住地にも、ヒヌカン(火の神)や仏壇がある。シーミーでは、お墓にも行くが、沖縄の旧盆のように仏壇のある家を回るのが一般的だ。

 仏壇を家庭で守ってきた1世は高齢となり、今守っているのは2世が中心だ。仏壇は日系の大工に造ってもらったり、図面を渡して現地の大工に造ってもらったり。イフェー(位牌)は沖縄まで作りに行く人がほとんどという。ウチカビや沖縄の線香を手に入れるのも一苦労だ。香典もあり、香典袋には日本円でなく、現地通貨のボリビアーノを入れる。

仏壇を大事にする中村麻衣さん(右)と祖母の宮城吉子さん(左)、麻衣さんの母親の中村恵子さん=ボリビアのオキナワ第1移住地

 物がない時代から工夫でしのいできた名残が今もある。小山さんが訪ねた県系2世の男性は、手作りの型でウチカビを自作している。茶色の紙に、丸とひし形のようなマークを1列に五つ、計7列を金づちで一つ一つ打っていた。

 県系2世の眞榮城真由美さん(55)=オキナワ第2移住地在住=はシーミーや旧盆などに、実家の仏壇のある兄の家に集まって拝む。供えるのは豚の三枚肉や天ぷらなど、沖縄と同様だ。供え物の数を奇数にするしきたりも守っている。眞榮城さんは「1世が大切にしてきた姿を見て育っているので、文化や風習は大切にしないといけないと思っている」と話す。

 2世だけでなく、3世にもその思いは受け継がれている。県系3世の中村麻衣さん(21)=オキナワ第1移住地在住=は行事の時だけでなく、毎月1日と15日に仏壇に手を合わせる。「祖母やお母さんがやっているのを見て私たちもしている。亡くなった祖父がそこにいるように感じる」と話す。

 ボリビアへの移民は1954年から米国政府支援の下で琉球政府が進めたものの、十分な支援がない中で自然災害や疫病、困窮に苦しみ、多くが再移住や帰国を余儀なくされた。小山さんは「来年で入植70年を迎え3世、4世と世代が進む中でもウチナー文化が大切に継承されていることを沖縄の人にもぜひ知ってほしい」と話す。
 (中村万里子)