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沖縄と台湾、国策に虐げられた痛み重ねて 「人権問題」共に苦しまない未来望み<東アジアの沖縄・第1部「有事」への眼>①


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2・28事件や戦前の沖縄の人との交流について話す蕭瑞雲さん(中央)と孫の許仁碩さん(左)、楊語珊さん(右)=3月、台北市の228和平公園

 台北中心部には1947年2・28事件の中心地の一つとなった228和平公園がある。穏やかな日差しが差し込む3月下旬の午後、蕭瑞雲(シァオルェイユン)さん(87)と孫の許仁碩(シュジェンシュオ)さん(36)=北海道大助教=は柔らかな笑顔で記者を迎えてくれた。事件の遺族でもある蕭さんの瞳の奥には深い悲しみがある。沖縄と交流を続け、人権問題を研究する許さんは、沖縄と台湾の人々の“痛み”を重ね、共に苦しまない未来を望んでいる。

 許さんは2015年2月に台湾大の大学院を卒業。NPO「台湾人権促進会」に勤め、16年に浦添市の青山恵昭(あおやまけいしょう)さん(79)と出会った。青山さんは父親を2・28事件で失い、外国人として初めて台湾政府に損害賠償を求めた訴訟で勝訴した。許さんはその取材で通訳を担った。

 祖母の蕭さんが2・28事件の遺族だと知ったのは、青山さんがきっかけだった。16年、青山さんは父親が亡くなった台湾北部の現在の和平島(旧社寮島)を訪問。許さんは同行しようと蕭さんを誘った。霊廟に手を合わせ、島から戻った後、「どう話せばいいか分からない」と泣きながら話してくれた。

 蕭さんの祖父の宗榮(ゾンロン)さんは事件で行方不明になった息子2人の帰りを待ち続け、心を病んだ。蕭さんは祖父の姿に心を痛め、何もできない自分を責め続けていた。しかし沖縄で事件を語り継ごうとする人の存在が苦しみを和らげ、話すことができたという。「おじいちゃんは戻ってこない。でも青山さんのように事件の記憶を大事にしている人がいることはちょっと救われる気持ちになる」

 ただ、台湾内部には勝訴した青山さんに対し「日本政府は戦争賠償をしていない」と否定的な意見が根強かったという。許さんは「戦前の日本や戦後の台湾がそうであったように、他国の人権侵害を容認することはいつか戦争につながる。人権問題も反戦も自分の問題として取り組んでいきたい」と話す。

 台湾では、徴兵制の兵役期間を4カ月から1年に延長し自衛意識が高まる。沖縄などでの軍備増強も歓迎されている。沖縄の懸念を知る許さんは「現状の裏で誰が苦しんでいるかをちゃんと見ないといけない」と話す。

 戦争や政治弾圧といった国策に虐げられてきた沖縄や台湾だからこそ、互いの溝を“痛み”への共感で埋められるとも感じている。長く険しい道であっても、決して悲観はしていない。
 (中村万里子)


<用語>2・28事件

 1945年、日本の敗戦により台湾の日本統治は終わった。しかし国民党政府の汚職や経済苦境で政府への不満が高まり、47年2月28日、闇たばこの取り締まりをきっかけに不満が爆発。暴動は全土に広がった。全土で1万8千人~2万8千人が国民党軍に殺害されたとされる。反共一党独裁体制の下、白色テロ弾圧へと続き、49年から始まった戒厳令が87年に解除されるまで、相互監視と密告の強制が行われ、事件のことが公に語られることはなかった。

 


台湾「2・28事件」遺族 「沖縄と対話を重ね、互いの理解を深める」 平和な未来へ一緒に答えを <東アジアの沖縄・第1部「有事」への眼>①