二つの「5月3日」 沖縄の重圧と父の苦労 宮城さつき(フリーアナウンサー)<女性たち発・うちなー語らな>


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 5月3日は私にとって二つの意味を持つ大切な日だ。一つは言うまでもなく憲法記念日。もう一つは父の誕生日である。今年は仕事でもご一緒させていただき、尊敬してやまない斉加(さいか)尚代(ひさよ)さんが憲法講演会でお話なさるというので前々から心待ちにしていた。

 昨年末閣議決定された安保関連3文書、軍事要塞化の進む沖縄、平和憲法の危機。登壇された方々の話に、改めて強い不安を覚えた。斉加さんは教育現場への政治介入に警鐘を唱えた。去年公開された斉加さんが監督の映画「教育と愛国」は、ドキュメンタリー映画としては異例の4万人を超える大ヒットとなり、さまざまな賞も受賞されている。

 同じように危機感を覚え関心を寄せる人々が多いことに救いを感じる。講演会には教育関係者の姿も多く見られた。戦争のもたらす痛みをどこよりも知っている沖縄において、正しく歴史を伝えようにも立ちはだかるさまざまな壁、教職者の心情を察した。

 憲法講演会の後、実家で父の誕生日を祝った。今年87歳。久米島の出身で7人兄弟の末っ子。貧しく育ち、学費のあてなどない中、琉球大学を受験し合格した父は、成績優秀者であったため4年間米軍の奨学金を得て学ぶことができた。卒業後も米軍の試験に合格しアメリカの大学で電気工学を学んだ後、沖縄電力で勤め上げた。

 子どもの頃の父の印象は、机に向かって電験の国家資格取得のためひたすら勉強する姿である。そんな父を誇らしく思っていたが、メディアの世界に身を置き、沖縄のたどった歴史を知るにつけ、私の中で複雑な気持ちも生まれた。「米留組」に対する冷ややかな視線があったことも事実だからだ。

 放送局に勤めていた頃、USCARの映像を一つずつ見ていたら、1964年嘉手納基地で米ドルへの両替を済ませボストンバッグを手に、飛行機に乗り立つまでの父の姿を発見した。今とは比べものにならないほど痩せていてなかなかのイケメンの父。深夜の編集室で涙があふれた。

 上司の許可を得てDVDに落とし家族みんなで上映会をした。それでもずっと父にはぶつけられなかった質問がある。思い切って聞いてみた。「軍の奨学金で学ぶことにためらいはなかったの?」と。「それしか学ぶ手だてがなかった」と父は言った。もうそれで十分な答えだった。沖縄が背負わされ続ける重圧、そのはざまで言葉にできない思いを抱えて生きてきた人々はきっと多くいるのだと思う。

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 みやぎ・さつき フリーアナウンサー。舞台朗読「沖縄可否の会」代表。映画やドキュメンタリー番組のナレーション、司会、舞台朗読など県内外で活動中。2022年設立の金井喜久子プロジェクト実行委員会発起人。その音楽と人間力にフォーカスし、魅力発信に努めている。