座間味での聖火リレー 平和の尊さ、世界に伝える 河瀬直美エッセー<とうとがなし>(3)


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聖火リレーでサバニを漕いだメンバーと筆者・河瀨直美(前列中央)=2021年5月2日、座間味村

 2021年、5月2日。オリンピックの聖火が沖縄の離島、座間味村にやってくるということで、私はオリンピックの公式映画監督として国際オリンピック委員会より正式に依頼され、その様子を撮影するために単身カメラを持ってフェリーに乗り込んだ。海邦国体から3年半後の1991年に訪れて以来、実に30年ぶりに慶良間諸島へ渡った。30年前、映画制作の道に進むかどうか迷っていた私を後押ししてくれた青い海と空。ケラマブルーが晴天の太陽と共に迎えてくれた。

 とはいえ、時はコロナ禍である。ほとんどの人が人生で初めて経験する緊急事態宣言なるものに翻弄(ほんろう)され答えのない日々を過ごしていた。各地で聖火ランナーのありようはさまざまで、リレーを中止するところや走らずにただランナーからランナーへ炎を渡すだけの地域が多くある中で、座間味島は伝統的なサバニと呼ばれる舟を人力で漕(こ)いで炎を渡すという形を選択していた。

 オリンピック史上、初めて座間味村に聖火がやってくるという時間を多くのリスクを覚悟で実行した村の人々には、聖火が平和の炎であることを強く意識する理由がある。太平洋戦争の沖縄戦ではアメリカ軍が最初に上陸した村となり、激戦地の一つとなった。防空壕での集団自決の歴史、戦争の悲惨な現実を語り部たちが伝えている。それでも当時の生き残りの方たちも高齢となり、人々の記憶も薄れてゆく中、今回の聖火が伝える意義を村長の宮里哲さんは言葉にしてくれた。「平和の尊さを伝えてゆくのは座間味村の責務だ」と。

 コロナによって1年延びたオリンピック。当然聖火リレーも1年延期となった。今回サバニを漕ぐ中学生のメンバーは、去年なら参加できていた先輩の分もしっかり漕ぐと力強く約束してくれた。あっという間の聖火のバトンタッチだったが、そこに至るまでの多くの人たちの尽力には、あの時集団自決に追い込まれた230名の人々への追悼の意も含まれている。そのことをしっかりと、未来永劫(えいごう)アーカイブされる今回のオリンピック映画に刻むこと。ネガティブな過去を意識し、ボジティブな未来に想いを繋(つな)いでゆくこと。それは私にとっても覚悟して撮影に臨むことだった。

 直(す)ぐに次の場所に移動しなければならない私は、リレーが終わった余韻を味わう暇もなくフェリーに乗り込んだ。船が見えなくなるまで見送ってくださった村長さんは、記録した映像が遠く地球の裏側や未来の子供たちにも届くことを夢見てくれているのだろう。こうして私の旅は続いてゆく。

(映画作家)