「こんなにいたんだ、沖縄の親族」 ハワイ県系3世のウェインさん、ルーツ求め金武で対面 テーブルいっぱいの家系図


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親戚の宜野座巖さんとその家族らとの対面を喜ぶウェイン・ギノザさん(左から5人目)=20日、金武町の宜野座巖さん宅

 1905年に当時の金武村(現金武町)からハワイへ移民した宜野座仙八さんの孫で県系移民3世のウェイン・ギノザさん(71)が20日、自身のルーツを求めて妻のリンさん(71)と娘のチェルシーさん(33)とともに金武町を訪れ、仙八さんの兄弟の孫・宜野座巖さん(71)とその家族らと対面した。同日、巖さん宅では宜野座ファミリー総勢21人が集まり、ウェインさんらを温かく出迎えた。ウェインさんは「こんなにたくさんいたんだ」と想像以上に親戚がいたことに驚きつつも、「祖父の故郷に来ることができてうれしい」と待ちわびた再会を喜んだ。

 ウェインさんの祖父・仙八さんは、ハワイへ移民後、オアフ島にあるカネオヘでタロイモ農家として働いていた。妻ウトさんとの間に2男1女を授かった。とても働き者で、ウェインさんは「孫の私や父が十分な教育を受けられるよう人生をささげてくれた」と振り返った。

 一方、仙八さんは英語を話すことが苦手だったため、ウェインさんは自らのルーツを聞く機会があまりなかったという。87年に仙八さんが亡くなり、ウェインさんはついに自身のルーツを聞けぬままになった。

 定年後、生活が落ち着いたウェインさんはルーツを探そうと思い立ち、昨年10月~11月の間に沖縄で開催された世界のウチナーンチュ大会に参加しようとしたが、コロナの影響で断念した。それでも諦めきれず、今年3月に県立図書館にルーツ調査を依頼し、仙八さんの兄弟の孫に当たる巖さんとの対面が実現した。

 ようやく実現した対面に巖さんやその家族らも大喜び。「こんなにたくさんいると誰が誰の子かも分からないよね」と自己紹介が始まった。そして、テーブルいっぱいに広げられた宜野座家の家系図には新たにウェインさん家族の名前も加えられていた。

 巖さんは「仙八さんの孫がいることは知っていたが、名前も知らないほどだった。今回、会ってみて見えないつながりを感じることができた。とても感慨深い」と対面を喜んだ。ウェインさんは「祖父のことを知ることができてとても良かった。このつながりを大切にしていきたい。しかし、コミュニケーションの問題があるので日本語をもっと勉強したい」と満面の笑みで話した。

(金城大樹)