太平洋戦争で日米両軍の地上戦が行われた旧南洋群島の沖縄県出身戦没者を追悼する、南洋群島慰霊と交流の旅の参加者21人が3日、テニアン島を訪れた。戦争体験を共有し、平和への思いを強めた。
テニアン島には、サイパン島に続いて1944年7月に米軍が上陸し、県人らも地上戦の巻き添えになった。島の南端に追い詰められた県人らは、崖から身を投げるなどして命を落とした。一行は、島の南端のカロリナス岬を見下ろす高台に立つ「沖縄の塔」を訪れ、花を供えた。肉親を亡くした参加者らは「みんな元気です。見守っていてください」などと語り掛け、涙をぬぐっていた。
金城秀子さん(87)はテニアン島で父親と妹3人を亡くした。当時8歳。米軍上陸で南へ逃げ、6歳、4歳、2歳の妹たちは餓死した。最後は島の南端の海のそばの自然壕に隠れた。米軍は投降を呼びかけるビラをまき、「手を上げて出てきてください」と繰り返したという。金城さんは5年ぶりに手を合わせ「胸が詰まってしまって。今生きていたらなあと思った」と涙をこぼした。
(中村万里子)