きなくさい時代に 「戦争」の実相知る努力を 宮城さつき(フリーアナウンサー)<女性たち発・うちなー語らな>


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 梅雨の最中、見頃を迎える月桃の花。涼やかな乳白色の房から黄色の花が顔をのぞかせる。見た目でも、香りでも心に癒やしをもたらしてくれる。こんなに美しい月桃だが、どこかさみしく物悲しい気持ちになるのは、反戦平和を歌った「月桃の花」が脳裏に浮かぶからだろう。

 78年前、鉄の暴風が吹き荒れる中でもきっと美しく咲き誇っていたことであろう。自然に比べて人間はなんて愚かなのだろうと思う。私が所属する舞台朗読の会「沖縄可否の会」には現在18人の女性たちがいる。文学が好きで、語ることが好きで集まったメンバー。今年で28年目を迎える会の歩みを振り返ると、活動の柱の一つに「平和朗読」が見えてくる。

 メンバーを見渡すと、半数以上が教育従事者だ。これまで面と向かって平和についての思いをお聞きすることは無かったが、先輩たちの選ぶ作品、誠実な語り口から胸に秘める確固たる思いが伝わってくる。翻って私はというと、戦争の話を朗読することは、どこか避けてきたように思う。

 放送局にいたころ、戦争にまつわる取材は数々行ってきた。体験者が心の痛みに耐え、声を振り絞って話してくれる内容は、想像の域をはるかに超えるものばかりであった。それだけに、戦争の実相をちゃんと伝える語りが自分にできるのか、自信がなかったのである。しかし、そんな悠長なことは言っておれない、きなくさい時代の波を感じる。戦争ができる国に一歩一歩近づいているように思う。

 そんな中、広島の原爆被害を描いた漫画「はだしのゲン」が本年度から広島市内の小学校で使う平和教育教材から外されるというニュースが飛び込んできた。今の児童の生活実態に合わないというのがその理由だが、果たして問題の本質はそこなのか? はだしのゲンを巡っては間違った歴史認識を植え付けるなどの指摘もあり、これまで何度も議論に上った。歴史教科書問題に通じる危うさを感じる。不都合な真実を隠そうとする思惑だ。

 そして、もう一つ、戦争の残虐な描写は子どもたちのトラウマになるとの論争だ。もちろん配慮は必要だと思う。しかし戦争を知らない私たちが二度と悲惨な戦争を起こさないためには、想像の限りを尽くし、「戦争」の実相を知る努力をすることが必要だと思う。

 来たる16日から浦添市美術館では儀間比呂志・中山良彦「戦がやってきた」版画展が開かれる。25日には、沖縄可否の会の11人が原画の前で作品の朗読を行う。語る方も、聞く方も、痛みを伴う内容だと思うが、共にその空間を共有し、その先の平和を考える時間にできたらと願う。