1か月が経過したが、5月3日は「世界報道の自由の日(ワールド・プレス・フリーダム・デー)」だ。国連では、1年間に亡くなったジャーナリストを追悼し、取材・報道活動を称え世界報道自由賞の贈賞などの記念行事が行われる。
報道の自由の日
この日に合わせて国際機関が調査報告書を発表することが常だが、今年はそのなかで「世界中のジャーナリストが政府から前例のない攻撃を受けている」(国境なき記者団RSF)と警告がなされている。同時に「フェイクニュースや嘘情報の結果として、報道機関に対する国民の敵意が高まっている」との指摘も重い。
もう1つのフリーダムハウスの「自由度」報告書では、世界の3分の1ずつが「自由」「一部不自由」「不自由」に分けられるとし、これを人口比でみると約半数が「不自由」国であるとともに、この比率が増加していると警告している。全体としては「民主主義国」が増えてきた1990年代以降の大きな流れはある一方で、2000年代に入ってから自由であると分類されている国でも不自由度が増しているとの分析もみられる。この傾向は、前者のRSF報道の自由度ランキングの順位が、ここ10年間で急降下している日本にも符合することになる。
では日本の場合、記者が突然殺されることも投獄されることもないにもかかわらず、なぜ自由度が下がり低位で固定化してるのかを確認しておく必要がある。そこには、忖度(そんたく)によるデモや集会などに対する締め付けや、報道現場における萎縮があるとされてきたが、こうした状況を作家・桐野夏生は「大衆的検閲」と呼び、危機感を示している(拙著『「くうき」が僕らを呑みこむ前に』理論社では、それをくうきと表した)。
社会を覆う重い空気感は、単に表現者の行為自体を押しとどめるだけでなく、こうした社会状況をうまく活用し、一層の法的社会的封じ込めを為政者の側が企図するとき、より一層事態は深刻化することになる。その分かりやすい例が新規立法化だ。
「戦後」から一変
2000年代に入って以降、それまでの「戦後」とは一変し、新しい表現規制立法が次々と生まれてきている。武力攻撃事態対処法や国民保護法にみられる緊急事態法制がその代表例だが、特定秘密保護法や共謀罪の新設(組織犯罪処罰法)、盗聴法(通信傍受法)の対象緩和も、こうした国家安全保障や治安のためには、表現が制約されることが当然視されてきたことの表れだ。
この流れで、ドローン規制法による取材の制限や、土地利用規制法による周辺住民の思想調査も合法化されてきた。これらはもっぱら、2001年の米国・同時多発テロ以降の国家安全のためには私権の制限はやむを得ないという国際的な流れであり、日本ではさらに北朝鮮や中国の脅威が声高に語られる結果、規制が当然の空気感が生まれた結果でもある。
そして何より、11年の東日本大震災の福島原発事故と、20年の新型コロナ感染症の蔓延によって、2つの「緊急事態宣言」が同時に発出される状況を迎え、移動・集会等の市民の自由や権利は強い制限を受けることになった。もちろん、それに伴い取材も大きな制約を受けることになったが、それらは「やむを得ない」こととして、社会的に甘受され元には戻らないものが少なからずある。
こうした社会の平穏のためには表現の自由の制約はやむを得ない、あるいは当然であるという考え方は広く社会に浸透し定着をするに至っている。その結果、ヘイトスピーチや誹謗(ひぼう)中傷は当然に許されないものであるとしても、その法規制を何ら躊躇(ちゅうちょ)なく選択することが当然視され、制度化が進んでいる。22年の侮辱罪の厳罰化もその1つだ。
「人権」より「国益」
こうした流れは今国会でも続いているといえよう。直接的な表現規制立法ではないものの、「人権」に深く関わる法制度の新設であることに違いなく、それらが国会での審議も不十分なままに「国益」優先で生まれている。5月8日にコロナ感染症が5類に変更され街に活気が戻り、株価もリーマンショック以来の高値をつけるなど、社会の関心が明るい話題に向いていることも関係していよう。
5月10日には、性犯罪被害者らの保護を図るため、起訴状など刑事手続き全般で被害者の氏名・住所を匿名化できるようにする改正刑事訴訟法が成立した。これは事件取材の端緒を摘むもので、記者活動への影響が必至であろう。同月31日には、原発回帰を定めるGX(グリーン・トランスフォーメーション)脱炭素電源法が成立した。報道や社会的議論を抑える際の常套手段化している、複数の政府提出法案を束ねて一括審査するもので、電気事業法(電事法)、原子炉等規制法(炉規法)、原子力基本法、再生可能エネルギー特別措置法(FIT法)、再処理等拠出金法(再処理法)の5つの法律が一気に変わった。
6月に入ってからも、2日には改正共通番号(マイナンバー)法が成立した。マイナンバーカードと健康保険証の一体化や、マイナンバーの利用範囲の拡大が決まり、4月1日から施行された改正省令の施行とともに、マイナ保険証義務化が進むことになる。国連から厳しい勧告を受け前回に撤回された法案と大差ないとされる、難民の新たな強制送還ルールを定めた改正入管法も、国会内での審議が途中で打ち切られる形で成立した。個々の問題事例の指摘は報道でみられるものの、そもそもの制度の問題に踏み込むことは、社会全体が制度を許容している空気感のなかでいまひとつだ。
このほか、防衛予算増額の財源確保特措法(我が国の防衛力の抜本的な強化等のために必要な財源の確保に関する特別措置法)も成立するだろう。さらに、性的姿態撮影禁止法(撮影罪)も、全会派一致で衆院を通過した。こちらも、アスリートを対象としたスポーツ取材が制約を受ける可能性をいまだ否定できない。
昨年末以来の生成AI技術の広がりのなかで、AI社会の危うさとしてすでに、知らないうちに形成される空気や、それらによって無意識に誘導され煽動する可能性、さらには何となくモノが言えなくなる窮屈さの指摘がある。ポスト・フィルターバブルによる社会分断が進むなかで、AIがリアル社会を動かしかねない事態が予感されているということだ。
しかも、これらを為政者がうまく活用し、立法を進めたり行政上の活用を行ったりする可能性を否定できない。まずは「くうき」を疑うことから始めたい。
(山田健太、専修大学教授・言論法)
本連載の過去の記事は本紙ウェブサイトや『愚かな風』『見張塔からずっと』(いずれも田畑書店)で読めます。