【那覇】那覇市若狭地域で日夜、独居老人や生活困窮者、非行少年など悩みや問題を抱える人に寄り添い続ける女性がいる。民生委員の上原美代さん(76)だ。つらく長い借金生活を乗り越えた経験を持つ。今では地域のために動くことが何よりも生きがいで「厳しい時代に多くの人に助けてもらった。若狭地域の人は私にとって家族のような存在であり今度は私が恩返しする番だ」と笑顔を見せる。
1947年、7人きょうだいの長女として那覇市小禄に生まれた。幼少のころから樋川の農連市場で働く母を手伝うのが日課だった。市場で仕入れた野菜などを「食堂やパチンコ屋、銀行などに納品していた、よくそこで食事の残りをもらっていた」と振り返る。
小禄中を卒業後、手に職をつけるためクリーニング店で働きながら松山にあった洋裁学校に通った。時代はベトナム戦争。米兵の衣類を預かることも多く、戦地で米兵が死ぬと、「預けた衣類や貴金属をもらえたこともあった」。家計は苦しく、必死に働いた。
24歳の時、ボクシング元世界王者の具志堅用高さんらを指導した上原勝榮さんと結婚し、二男二女に恵まれた。結婚当初は家計にも余裕があったが、商売の失敗や親族の借金の保証人になったことで生活は暗転した。借金は見る見るうちに増え7億円までふくらんだ。
借金返済に追われる日々が続き、子どもを見る暇もなかった。そんなとき、手を差し伸べてくれたのが若狭地域の人たちだった。地域の支えを受けながら懸命に働き、借金を返し終わったのは70歳を過ぎてからだ。「自宅はもちろん実家の畑も借金のかたにとられ、多くの人に迷惑をかけた」と語る。それでも「小さいころから働きづめだったからそれが普通になっている」と笑う。
借金がなくなった今も生活のリズムは変わらない。毎朝2時過ぎには起床し、農連市場で受け取った野菜などを老人ホームに届ける。その後、自宅近くの若狭公園を清掃し、花壇の手入れも行う。公園を通る子どもたちへの声かけも忘れない。午後は訪問介護ヘルパーとして地域の高齢者宅も回りながら、民生委員としてもさまざまな人の相談にものる。
4年前に脳梗塞で倒れ、今も手にしびれが残るものの「体を動かさないとますます弱る。とにかく体を動かす」と前を向く。借金もなくなり平穏となった今、「これからは地域がよくなるための活動を続けたい。歩けなくなっても動き続ける」と語った。
(吉田健一)