「負けるもんか」で生きた人 シルビオ・モレノさんを悼む アルベルト城間・歌手


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演奏するシルビオ・モレノさん=2003年ごろ、那覇市のペーニャあまんかい(祐子・リンダ・モレノさん提供)

 僕が初めて沖縄に来た時、琉球大学に留学していたペルーのいとこの紹介で、シルビオ・モレノの店「あまんかい」に連れて行ってくれた。泊まるところもなく店で2、3日、寝泊まりさせてもらった。ポンチョを毛布にして寝たのが思い出だ。こんなにギターのうまい人を見たことがない、歌ももちろんフォルクローレや南米音楽を演奏していた。

 僕が琉球古典音楽を学び始めた頃、少し歌い方が変わっている僕にシルビオは「自分の歌い方をもっと大事にした方がいい」とアドバイスをくれた。遠くにいて会っていない時も指摘してくれる。周りから褒められることが多かったが、彼だけは厳しかった。その中でも、僕の活動を評価してくれた。

 南米の社会や政治的なことを沖縄で伝えて、不安定な部分を全て受け入れ、代弁者のように歌っていた。パーキンソン病になってもギターを離さなかった。手が震えてもギター持つとちゃんと弾く。ゲストにシルビオを呼んだライブで、彼は車いすで参加したが、最後は立ち上がって歌っていた。「負けるもんか」みたいな気持ちで生きた人、いつも何かと闘っていた。沖縄のミュージシャンの中でもシルビオは特別な存在だ。一言で言えば本物。僕は彼の膝にしか届かないんじゃないか。

 シルビオのオリジナル曲に「うちなんかいめんそーれ」がある。聴いていると彼の沖縄に対する愛情や感謝の思いを感じる。スペイン語で歌うが、サビはうちなーぐち。いつかアルゼンチンに行って歌いたい。シルビオに対する恩返し。これしかできない。
 (歌手、談)

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 シルビオ・モレノさんは9日死去。80歳。