国の軍備増強「住民は守られない」 射撃音響き、軍事日常化の集落 戦時の爆発事故を想起 宮古島市・平良長勇さん<重なる戦前・“国防”と住民>①


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住民2人を含む複数名が犠牲となった弾薬爆発事件について語る平良長勇さん=17日、宮古島市城辺保良の自宅

 宮古島市保良区ののどかな集落内に、時折静寂を切り裂く射撃音が鳴り響く。「パンパンパン」―。弾薬庫を抱える陸上自衛隊保良訓練場では、射撃訓練などが行われ、集落内を大型の自衛隊車両が行き交う。「国は『住民のために』と言って軍を配備するが、住民は守られない」と話す同区在住の平良長勇さん(84)。米中対立を背景に軍事力を高める南西シフトの下、保良集落に射撃音が響くようになった。

 保良集落に射撃音が響いて“軍事”が日常化していく今に、かつて日本軍に軍事要塞化された島が重なる。米軍の攻撃が激化する中、1944年2月、当時5歳だった平良さんは耳をつんざく爆発音に、おののいた経験がある。子ども2人を含む複数名犠牲となった弾薬爆発事故だった。

 宮古島は1943年から44年にかけて日本海軍や陸軍の飛行場が造られ、島全体が軍事要塞化された。各地に配置された日本兵は公共施設や民家などを使用するなどしていた。城辺町(現宮古島市)保良区でも多くの日本兵が滞在していた。

 平良さんや宮古島市史によると、保良区の旧公民館には日本軍の弾薬が野ざらしで積まれていたという。1944年、日本軍は弾薬を移動し保管するため、平良さんの自宅から約100メートル離れた場所に壕を掘った。その時の指揮官の名前を取って「キヤマ壕」と名付けられた。

 日本兵複数名が荷車を使って弾薬を旧公民館からキヤマ壕に運んでいると、壕付近で荷台から落ちて爆発した。近くにいた住民2人と日本兵複数名が命を落とした。

 発生場所から約50メートル離れた場所にいた平良さんは地面をゆらすような爆発音に驚き、泣きながら帰宅した。その後、父親から爆発事故が起こり、近所に住んでいた少女と生後12カ月の女の子が巻き込まれたことを知った。

 平良さんは「軍隊が近くにあることで住民は危険にさらされる。国は『住民を守るため』と言うが、住民は守られない。それは今も昔も変わらない」と声を落とす。
 (友寄開)

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 海洋進出を強める中国を念頭に、沖縄では自衛隊増強による「南西シフト」が進み、日米による軍事一体化もさらに強まろうとしている。こうした情勢に対し、戦争体験者からは戦前の動きと重ねて懸念する声も高まっている。沖縄戦からは、多くの犠牲を払い「軍隊は住民を守らない」という教訓を得た。地域の戦争体験を通じて現状と戦前の動きを比較検証し、改めて教訓を見つめ直す。

①の続き▼「日本兵が守ろうとしたのは国土」戦時下と同じく弾薬庫造り、再び住民犠牲を危惧