園児に語る沖縄戦の記憶 3歳で亡くした弟を重ね「毎日楽しいと思うのが平和」


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講話を終え、園児らと触れ合う玉寄哲永さん=19日、那覇市銘苅のガジマル保育園

 県子ども会育成連絡協議会(沖子連)の元会長で、沖縄戦体験者の玉寄哲永さん(88)が19日、那覇市銘苅のガジマル保育園で同園や系列のあじゃ保育園、安謝こども園の4、5歳児約70人を前に戦争体験を語った。玉寄さんは小学生以上への講話は多いが、保育園児に話すことはほとんどなかった。3歳で亡くした弟、祐祺(ゆうき)ちゃんを同年代の園児に重ね、目を潤ませながら平和の尊さを説いた。

 玉寄さんはガジマル保育園の評議員を務めており、園からの依頼で講話することになった。園児に分かりやすいようにと、カレンダーの裏に絵を描き、体験を紙芝居にまとめた。経塚、識名、座波、糸満、福地、喜屋武と、家族で逃げた道のりを順番に描き、体験したことを話した。

 米軍機の機銃掃射や艦砲射撃をかいくぐりながら逃げるも、防空壕(ごう)では日本兵にスパイと疑われ、父親が一生懸命掘った壕も日本兵に奪われた。身を隠していた民家で米軍の攻撃を受け、弟は足を負傷。母親が弟のために用意したおかゆも日本兵に奪われた。

 最後は喜屋武の浜の岩陰に隠れていたが、白旗を持って先頭に立ち、日本兵や住民の死体の上を歩いて投降した。米軍に捕らえられた後、弟は傷が原因で亡くなった。

 「戦争は大変怖い。毎日、爆弾が落ちたから。生き延びて非常にありがたい」。優しい口調で戦争の恐ろしさや平和のありがたさを語り、園児も真剣な表情で聞き入った。

 玉寄さんが「毎日楽しいと思うのが平和なんだ。皆さん、しっかりと平和を願ってちょうだいねー」と呼びかけると、園児らは「はーい」と元気よく答えた。

 玉寄さんは話しながら、「兄ちゃんに会いたい」と言いながら亡くなった弟のことを考えていたという。「生きていて、喜びに変えましょう」と講話を締めくくった。

(稲福政俊)