戦後78年の慰霊の日、命の尊さかみしめた一日 軍備増強を警戒、世代を超えて記憶の継承へ


この記事を書いた人 琉球新報社
雨模様の天気も回復し、続々と「平和の礎」を訪れる人たち=23日午前10時、糸満市摩文仁の平和祈念公園(ジャン松元撮影)

 慰霊の日を迎えた23日、沖縄県内各地で慰霊祭が開かれ、78年前の地上戦などで犠牲となった住民らを弔った。沖縄戦の終焉の地・糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が4年ぶりの通常開催となった。岸田文雄首相ら式典に出席する要人警護の態勢も強化され、物々しさも際立った。沖縄での防衛力強化が進められる中、命や平和の尊さを県民がより一層かみしめる一日となった。

刻銘板の沖縄戦犠牲者の名前を祖母と一緒に確かめる子どもたち=23日午前8時18分、糸満市摩文仁の平和祈念公園(ジャン松元撮影)

 沖縄戦の組織的戦闘が終わって78年となったこの日、糸満市摩文仁の平和祈念公園は、昼頃には肌を刺すような強い日差しとなった。蒸し暑さも相まって、沖縄全戦没者追悼式などに参列した人々は、汗を拭いながら、故人の死を悼んだ。園内には、体験者のみならず働き盛り世代や子どもたちの姿も多く見られ、平和の礎を訪ねて78年前の記憶を受け継ごうとする意思が見受けられた。

 追悼式に初めて参加した島袋義孝さん(72)=沖縄市=は「忌まわしい戦争の犠牲になった方々のことを考えると心が痛む」と話し、有事にならないよう首相に一層の外交努力を求めた。

 那覇市首里石嶺町から妻の和枝さん(83)と共に訪れた湧川健次さん(81)。父・次郎さんの刻銘を見つけて、思わず目頭が熱くなった。「平和の礎に来ると感情的になってしまう」と声が震える。湧川さんはサイパン生まれで、現地で父と兄を失った。物心つく前で当時の写真も残っていない。「ご冥福を祈る。それしかない」。父の名を見つめ、静かに手を合わせた。

兄の遺影を持参して魂魄の塔を訪れ、線香を手向ける男性=23日午前7時59分、糸満市米須(小川昌宏撮影) 被写体種別 一般

 金武町の吉田勝廣さん(78)は、孫4人と訪れた。金武町長や県政策調整監などを歴任した吉田さんは、米軍が沖縄本島に上陸する4日前の1945年3月28日に生まれた。産声で壕には隠れられないと、「母はフクギの木の下で、雨が降る中、3日間私を見守り続けた」と孫に話した。

 「慰霊の日がどんな日か、SNSで発信したい」。屋我伸枝さん(34)は、礎に手を合わせる自身の動画を撮影した。沖縄戦時、祖母は7歳で戦火から逃れる中、銃撃に遭い、背負っていた5歳の妹が犠牲になった。「おばあちゃんが生き延びたから、今自分がいる」と話し、配信を通じて命の尊さを訴えた。

 4年ぶりの通常開催となった追悼式。出席した岸田文雄首相が県内各地で自衛隊増強を推進していることもあり、懸念の声を上げる参列者や、会場の外からも「沖縄を戦場にするな」と叫ぶやじもあった。
 (小波津智也まとめ)

沖縄全戦没者追悼式典の後、4年ぶりに焼香の列をつくる一般の参列者ら=23日午後1時10分、糸満市摩文仁の平和祈念公園(ジャン松元撮影)