106歳、きょうも元気です 健康の秘訣は食事と運動、そして新聞とテレビ 豊見城の赤嶺さん 沖縄


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106歳の赤嶺オトさん(中央)。長男夫婦の光男さん、知子さんと一緒に暮らしている=5月31日、豊見城市根差部

 【豊見城】豊見城市根差部で暮らす赤嶺オトさんは106歳。病気らしい病気もせず、光男さん(76)、知子さん(75)の長男夫妻と3人で暮らしている。新型コロナに感染しても、ほぼ無症状で乗り切った。健康の秘訣(ひけつ)は好き嫌いなく食べることと、体を動かすこと。毎日の楽しみは新聞とテレビだ。「事件(の記事)は怖くなる。明るい話題がいいね、心も上等になる」と満面の笑みをみせた。

 赤嶺さんは根差部出身。結婚で一時期フィリピンに移り、戦後に家族で戻ってきた。子どもは男3人、女2人、孫が14人。ひ孫が18人、やしゃごは6人いるという。農業を営み、農作物を那覇市の農連市場に卸してきた。光男さんによると、90歳まで畑に出ていた。食事、着替えなど今も自分ですませる。

 「新聞とテレビ番組が好き」と言う。毎朝6時に起きると、朝食まで愛読紙の琉球新報と農業新聞をゆっくり読む。テレビ番組はスポーツ観戦を好み、特に野球と相撲は見逃さない。週5回のデイサービスから帰ったら、再度テレビのスイッチを入れ、新聞を広げるのが楽しみだ。午後10時ごろに就寝する。

 膝の痛みから歩行器を使い、聴力が低下したことで筆談することはあるものの、通院は3カ月に1度、血圧の薬を処方してもらうために行く程度。コロナ禍では濃厚接触者となり念のため検査をすると陽性だった。5日ほど宿泊施設に1人で入所した。「入所で体力が落ち、少し弱気になったが戻ってくると元気を取り戻した」と知子さんは振り返った。

 52年間一緒に暮らしている光男さんは「明るく、くよくよしないで前向き。母は『受けた恩は絶対に忘れるな』と言い私を育てた。農連市場に通って働いていたころは帰りがけに親戚たちに必ず何かを買ってくるような人だった」と語った。
 (岩崎みどり)