2人の若者が沖縄戦の記憶継承、伝統芸能の歌い手と平和学習講師「沖縄を二度と戦場にしない」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
三線(さんしん)を手に、民謡を歌う新垣成世さん=20日、八重瀬町

 太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的戦闘が終結したとされる1945年6月23日の「慰霊の日」から78年が過ぎた。悲惨な地上戦の語り手が年々減る中、2人の若者が記憶の継承役を担い始めた。伝統芸能の歌い手と平和学習講師、それぞれ継承の仕方は異なるが、「沖縄を二度と戦場にならない島に」という思いは同じだ。

 「うんじゅん 我(わ)んにん いゃーん 我んにん 艦砲ぬ喰(く)ぇー残(ぬく)さー(あなたも私も、おまえもおれも艦砲射撃の食い残し)」。沖縄戦で家族を失った悲しみと反戦の思いを歌った沖縄民謡「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の一節には、戦争で生き残った沖縄県民の苦悩が込められている。

 2021年の慰霊の日から友人とユーチューブ(動画投稿サイト)での発信を始めた唄者(うたしゃ)新垣成世さん(29)は「語ることも困難な体験が歌で残る。大切に歌い継ぎたい」と話す。

 民謡歌手を目指していた時は、沖縄戦を歌うことが、戦争の惨禍に向き合うようで怖かった。「若い歌い手も戦争を歌っている人は減少している」と感じていた。

 それでも唄者の責任として、継承に取り組みたいと考えた。若者が伝えることで「これからの日本をつくる世代にも届けたい」と語る。

 沖縄戦を語り継ぐことは、戦後のうちなーんちゅ(沖縄人)のアイデンティティーを支えてきた側面がある。県内外で学生らに授業を通して、沖縄戦の歴史などを伝える平和学習講師の仲本和さん(23)も体験者の減少を危惧し、活動を始めた一人だ。仲本さんは、県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦の経験を継承し、戦争につながるあらゆる手段を拒んできたことが「沖縄の心」だと考える。

 「みんなと変わらない、沖縄の一人一人が国家の失敗で犠牲になった。これからの戦争を止めるためにも、沖縄戦の語りが必要だ」
(共同通信)