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米軍普天間飛行場(宜野湾市)移設に伴う名護市辺野古の新基地建設への抗議行動は連日続けられ、辺野古の「浜テント」の座り込みは、7千日を迎えた。参加する市民の高齢化が課題になる中、海上で若者が楽器演奏や歌によって工事中止を訴えるイベントも開かれた。那覇市出身の報道写真家石川文洋さん(85)が、辺野古や土砂を搬出している港などを巡り、米軍基地反対運動の現状を写真とルポで報告する。
名護市辺野古の新基地建設現場に隣接する米軍キャンプ・シュワブのゲート前に行った。
若く屈強な機動隊員に向き合う人々は年配者が多く、手持ちの簡易椅子に座っている。手には「子どもたちの未来に基地は要らない」「沖縄を戦場にするな」などと書かれたプラカード。抗議者が座り込んでいる間、砕石や建設資材などを運ぶダンプカーは列を作って待機しており、機動隊員が人々を排除してからゲート内に入る。
この日の抗議現場責任者であるヘリ基地反対協議会事務局長の仲本興真さん(75)と一緒に、土砂が搬出されている現場も回った。
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名護市安和のセメント会社の桟橋では、ダンプカーが運んで来た土砂を大型運搬船にベルトコンベヤーで移していた。運搬船の大半は本土から来ている。「辺野古新基地建設も本土の大手ゼネコンが元請け、沖縄の企業は下請けになっている」と仲本さんは言う。
ダンプカーの前で、市民らが「戦争をさせない日本にしよう」「辺野古の海を守ろう」などのプラカードを掲げて抗議行動。沖では、大型運搬船に近づこうとする4隻のカヌーに、海上保安庁の船が接近していた。
本部町の本部港塩川地区では、人々が土砂を運ぶダンプカーの前をゆっくりと横切る「牛歩戦術」を繰り返していた。
辺野古沖のボーリング調査を開始した2004年4月19日に始まった辺野古の「浜テント」の座り込みは6月18日で7千日。記念の集会には、市民団体のメンバーや国会議員、県会議員など約240人が参加した。
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こうした息の長い抗議行動が、新基地建設の阻止につながっていく。18年12月に最初の土砂を建設用地に投入してから4年以上たつが、まだ埋め立てに必要な土砂量の15%しか投入されていないという。
読谷村の富樫純子さん(69)は、高校の教員を定年になってから辺野古のキャンプ・シュワブ前の抗議行動に参加している。「座り込みに参加する学生は少ないが、私たちの思いは伝わっていくと思う。現場に来なくても、座り込む人たちの弁当を作ったりして、支援者の層は厚いです」
6月24日には、ヘリ基地反対協・海上行動チームが海上で、イベント「海のおまつり」を開催して工事の中止を訴えた。
小型船やカヌーで50人が参加。船をステージに、若者が三線(さんしん)やギターを演奏して「島唄」「涙そうそう」などの曲を歌った。フロートの内側で警備に当たる海上保安庁の職員らも演奏を楽しみ、拍手を送ってきた。
仲本さんは「抗議行動参加者の高齢化が課題だが、浜テントには、修学旅行や平和学習で本土の多くの高校生が訪れている。私たちが基地建設に反対する姿を見て何かを感じ取ってもらいたい」と話している。
(文と写真・石川文洋)