収容所から再び看護の道へ 山田春子さん(6) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子
現在の沖縄市胡屋。沖縄中央病院が置かれた

 久志村(現名護市)の瀬嵩収容地区から中城村当間に戻った山田春子さん(94)=中城村=は沖縄戦で断念していた看護婦の道を再び歩みます。
 《当間地区の収容所で前原医師との出会いがあった。前原医師は私が看護学校に通っていたことを知り、旧中部病院に私を紹介した。翌日、米兵と共に私を迎えに来た。混乱する社会状況の中で医療に関わる人は不足し、厳しい状況だった。》
 「前原医師」とは内科医の前原信勝さんのことです。沖縄戦で24師団に配属され、敗戦後は現在の沖縄市胡屋に置かれた沖縄民政府立沖縄中央病院(後の中部病院)に勤めていました。
 従軍看護婦を目指していた山田さんは戦争で傷ついた人々の看護に当たります。
 《私は、負傷した人々や家族のため病院に行くことを決心し、母に話しました。母は、心配そうに涙を流しながら私を見送っていました。
 終戦直後の病院は多くの負傷者やマラリア、栄養失調の患者でいっぱいでした。私はナース1年生として毎日、戸惑いの中で日々頑張りました。
 それでも夜になると寂しさから家族のことを思い出して泣いていました。そんな私を、いつも先輩や同僚のみんなが励まして、支えてくれました。》
 当時の先輩には沖縄陸軍病院に勤務し、戦後沖縄の医療に尽くした真玉橋ノブさん、奥松文子さんらがいました。山田さんは2人の先輩を懐かしみます。