<書評>『Fujiと沖縄』 確かな視点、広がる視野


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
『Fujiと沖縄』 山梨日日新聞社・2200円

 タイトルの「Fuji」とは、富士山のことである。本書は、その山梨県側の麓に広がる北富士演習場をめぐる動きを追った地元紙、山梨日日新聞の企画連載「Fujiと沖縄」全6部をまとめている。

 狙いと視点は明確だ。占領下を中心として本土各地にあった米軍基地が米統治下の沖縄に集約された。北富士演習場にも戦後、米軍が常駐していたが、1956年、大部分が沖縄に移駐した。本土にとっては次第に遠のく「基地問題」だが、これを「他人ごと」ではなく、足元の歴史を見つめ直すことで「自分ごと」として捉え返す。そこに描かれる自画像のまなざしを、負担を強いられたまま日本への「復帰50年」の時を刻んだ沖縄の「いま」、「これから」に注ぐ――という試みである。

 たとえば、第1部の「米軍がいた11年」。交通違反は日常の米兵による傍若無人な犯罪、不発弾による人身事故……。「米軍が居座り続ける」沖縄では進行中の現実であり、おそらく、しばらく変わることのない近未来の姿であることを浮き彫りにする。

 取材する記者たちは、抽象的な「論」を展開することはない。沖縄にも足を運んで現場を歩き、聴き入り、事実を積み重ねて当該地域の歴史を書く。防衛や安全保障という「大きな言葉」に、人間の生活や暮らしを対置させる。

 土地の記憶をどのように発掘し、どう伝えるか。記憶とは忘れないでいることだけではない。過去を学び直しながら「いま」につなげて考えることが大切だ。そのためには、北富士に演習場がある限り、沖縄に無関心であってはならない。無視せず、忘れもしない。課題を抱える地元紙の並々ならない決意が行間に見える。

 沖縄発の声に昨今、憎悪や差別をあおる言葉が目につく。本書の中で小菅信子・山梨学院大教授(歴史学)は、こうした無理解を払拭し、沖縄の痛みへの共感を広げるためには「まず歴史を知り、足を運び、少しずつ距離を縮めていく。沖縄が自分と無関係ではないと意識する」ことを強調する。

 視点の確かさが、視野の広さにつながる。記者が手本とすべき力作である。

 (藤原健・本紙客員編集委員)


 「Fujiと沖縄」取材班 山梨日日新聞社の前島文彦、中嶋寿美子(ペン)、広瀬徹、橘田俊也(カメラ)、保阪有(デスク)の5記者が担った。新聞連載は石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞など受賞。