「一番大変な時に助けてくれた」 ウクライナから避難のナディーヤさん家族、うるま市の支援に感謝伝える


この記事を書いた人 琉球新報社
中村正人市長(後列右から3人目)らに感謝を伝えた(前列右から)コマハ・マタイさん、コマハ・リュドミーラさん、ツビリューク・ナディーヤさん=12日、うるま市役所

 【うるま】ロシアによる侵攻が続くウクライナから家族で避難し、2022年の6月からうるま市で生活をしていたコマハ・リュドミーラさん(54)、娘のツビリューク・ナディーヤさん(34)、息子のコマハ・マタイさん(12)は12日、うるま市役所を訪れ、中村正人市長らに感謝を伝えた。福岡に引っ越すナディーヤさんは、市の補助や市民からの温かい支援に励まされた経験を語り「うるま市は第2のふるさとだ」と思いを語った。

 22年3月からうるま市で仕事をしていたナディーヤさんは同年5月に家族を沖縄に呼び寄せた。翌6月にはうるま市が県内に先駆けて1年間の住居費補助を決定した。23年7月から日本財団の支援を受け、福岡県で日本語を学ぶ。転居に伴い、うるま市へ感謝を伝えた。

 リュドミーラさんは「一番大変な時に助けてくれた。いつかウクライナに帰った時、もらったたくさんの親切や厚意を多くの人に伝えたい。感謝してもしきれない」と話した。

 歌手でもあるナディーヤさんは愛を歌ったウクライナの民謡を披露した。「うるま市の皆さんは、見知らぬ私たち家族に心を開いてくれた。厚意は一生忘れない」と話し「心から感謝します」と日本語で伝えた。

 沖縄に来てすぐの時期は「ストレスが多く、何も考えられなかった」とナディーヤさんは話す。約1年の生活で「できることをやりたいと思えるほど心の余裕ができた」と振り返る。「闘牛の観戦が楽しかった」と思い出も語った。

 今も続くウクライナの戦争に「一日も早く平和が訪れてほしい」と願う。約2週間前に一時帰国した。毎朝4時から避難のサイレンで起こされる生活を送った。逃げようとする場所はどこも以前に爆弾が落ちた場所。「逃げ場がなくてパニックになった」と話す。「沖縄の人もこの街も絶対に戦争を体験してほしくない」と力を込める。

 今後は「日本を知りたい」との思いで日本語を勉強する。「うるま市や沖縄はふるさとだ。また戻ってくる」と誓った。
 (金盛文香)