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祖父が語った言葉、いまの起業の原点に 「自らの選択肢を狭めず」<県人ネットワーク>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
岡 えりさん

 苛烈な沖縄戦を生き抜いた祖父母は「人を思いやる大切さ」を孫へ説き続けた。「人には優しくしなさい。どんどん与えなさい。いつか自分に戻ってくる」。戦争体験という深い悲しみがあった故か、祖父は人の幸せを尊んだ。そして孫の世代が社会の先端を走る時代。祖父が口癖のように語った言葉は孫の起業の原点として受け継がれた。孤独を深める人が絶えない今。人のつながりの再生に向けた取り組みを始めた。

 人の話を聞く。対話につなげる―。優しいようで難しい課題が注目を集める。関連書籍が刊行されるとベストセラー。最も注目を集める「技術」だ。

 AIなどで組成された言葉には乾ききった味気なさがあるのか。代替できない人ならではのぬくもりあるリアルトークを持ち味に起業した。ライブコミュニケーションサービスの企業「Lively」を立ち上げたのは2020年10月。IT系ベンチャーとしてオンライン上に交流、対話の空間をつくりあげた。人の閉塞(へいそく)感や孤独、悩みに向き合い、生きる意味を共に考える。励み、勇気をも共有する。時代を反映し人気も急上昇している。

 原点の地は糸満市。活発な幼少、青春時代を過ごした。当初は祖父母の営む農業を継ぐ志を立てたが、人生はままならない。祖父が交通事故に遭う。老老介護だった祖父の入院で祖母は福祉施設に入所せざるを得なくなった。祖父の頑健な身体は回復するが、自宅に戻っても、ひとりたたずむ生活に祖父からは弱音も漏れた。「こんなのだったら生きている意味がない」。祖母がいてこそ湧いた生きる張り合い。喪失感と孤独は人を苦しめる。

 そんな祖父を見て決意した。「身体だけでなく、心も元気に。おじいちゃんを復活させないと」。会話を通じ心の交流を日々続けると祖父の「目の輝きが戻り始めた」。人が再生していく過程を、身を持って知ったのが天職につながる。

 とはいえ起業は、日常にとらわれ見失いがちな自己の苦悩を克服した末に結実した。大学進学、意中の国家資格・作業療法士を取得し念願の病院勤務となったが、道中に壁は立ちふさがる。結婚、子育てと人生の大事に次々追われ、専業主婦として自宅にいるだけの存在意義が自らをさいなんだ。「私の未来への希望、生き方。自分は何をしたかったのか」。もがき苦しんだ果てに自らを変え、挑戦することに舵(かじ)を切った。

 言葉の持つ潜在力を確信した原体験があった。起業は祖父とのかけがえのない「共生」体験の賜物(たまもの)ともいえる。「聞く力ってあまり目立たない才能かと思われがち。でも平和を満たす重要な力だ」

 聞く力を発揮して成功体験を重ね「人生の選択肢は増えて広がった」。合わせて経済的自立の大切さを知る。それだけに沖縄の格差、貧困問題は見過ごせない。「自らの選択肢を狭めず、どんどんチャレンジして。私も女性の生き方の一事例を示していきたい。外に出て見えてくる沖縄の良さも知って」。祖父の言葉が原点。今につなぐ。
 (斉藤学)


 おか・えり 1985年生まれ。糸満市出身。糸満小、中学校から向陽高校を経て神奈川県立保健福祉大学に。卒業後、作業療法士として精神科病院などで勤務。子育てとの両立を図るため在宅でオンラインコーチングの仕事に従事。株式会社Livelyを共同創業した。