「復帰」の実相問う 半世紀前と今、映し出す 戦後沖縄を取材してきた吉岡攻氏の新著「書を捨て、まちに出た高校生たち」


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吉岡攻著「うちなー世 書を捨て、まちに出た高校生たち 復帰51年目の黙示録」の表紙とカバー

 緑色のマジックで「壁のない沖縄」と書いた紙を手にしたマスク姿の高校生の写真が印刷された本書のカバーを外すと、表表紙と裏表紙に載った11枚のモノクロ写真が現れる。主人公は沖縄の高校生たちである。鋭い眼光。切迫感、憂いを帯びた顔。見る者をはっとさせる力がある。

 カバーの高校生の写真は2022年に撮られた。表紙の写真は1970年前後。カバーと表紙の間には約半世紀の時が流れている。著者の吉岡攻さんはかつての高校生たちを訪ね歩きながら「復帰」の実相を問い、その後の50年余の年月を見つめる。これがこの本「うちなー世 書を捨て、まちに出た高校生たち」(インパクト出版会)の主題と言える。

 奥付で吉岡さんの肩書きを「TVドキュメンタリー・ディレクター、ジャーナリスト」と紹介している。1968年10月、「報道写真家・カメラマン」として沖縄の関わりが始まり、以後4年間、集中的に沖縄を取材する。71年、「沖縄 69~70」で準太陽賞を受賞した。今回、吉岡さんは当時取材で会った高校生たちと再会を果たし、2本のテレビ番組を制作し、本書を編んだ。読者は本書を通じて、50年前の高校生と出会うことになる。写真は出会いのメディアという思いを強くする。

 そして、写真は日付と場を刻むメディアだ。吉岡さんの写真も日付と場を刻している。B52墜落、米兵による高校生刺傷、コザ騒動、毒ガス移送、そして施政権返還―。その時、その場所に関わりを持つ高校生に吉岡さんはレンズを向けた。高校生たちはそれぞれの出来事や事件と向き合い、怒り、悩み、悲しみ、そして声を上げた。書名通り「書を捨て、まちに出た」のである。

 吉岡さんはその後の高校生たちの歩みをたどりながら、50年後の彼、彼女の言葉を本書で紡いでいく。

 「許せないものは、許せない。それをずっといい続ける」

 「何も変わらないですね。というか、相手が見えなくなってしまった分、責任が曖昧になった。…答えが得にくくなった感じですね」

 「どうか、沖縄の辛さ悲しさをこれからも伝えて下さい」

 かつての高校生たちはその後も悩み、怒り、悲しんできた。それぞれの場で闘いを続けてきた。

 高校生たちが「まちに出た」のは復帰前夜だけではない。本書に登場する高校生の一世代前に属する高校生たちも、50年代の島ぐるみ闘争、宮森小ジェット機墜落事故、アイゼンハワー大統領来沖という沖縄戦後史に刻まれた出来事を見つめていた。各高校で発刊されていた文芸誌を拠点に評論、小説、詩歌などの形で自らの思いを表現する高校生がいた。「書く」ことを通じて時代を見つめたのである。

 改めて、表紙とカバーの写真を見る。半世紀前の高校生の目は「復帰」を前にしたごまかしや不正、隠蔽(いんぺい)を許さないという信念に満ちている。表情に浮かぶ憂いは沖縄のその後の歩みを予見していたかのようだ。どちらも50年余の時を超え、私たちの心を揺さぶる。そして「壁のない沖縄」の文字は未来へと開かれている。

 これをどう受け止め、答えを出していけばよいか。この本を手にする読者に等しく投げかけられる重い問いである。(2200円)
 (小那覇安剛)