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姉の遺骨から爆弾の破片 姉とおいっ子亡くす <惨劇の記憶 伊江島LCT爆発から75年>中


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当時の体験を語る山城正源さん=7月10日、浦添市の山城さん宅

 沖縄県伊江村出身の山城正源(せいげん)さん(88)=浦添市=は、姉の玉城恵美さんと恵美さんの息子であるおいの良明さんを米軍爆弾輸送船(LCT)の爆発事件で失った。

 1948年8月6日、伊江島の大口連絡船浮桟橋(現在の伊江港)で、未使用の爆弾を積んだLCTが爆発した。山城さんは当時13歳。75年たった今でも、当時の状況は脳裏に焼き付いている。「思い出すだけでいやになる。本当に目を背けたくなる状況だった」

 事故の起きた日、恵美さんは本部町から連絡船に乗っていた。本部町へ杉板を調達した帰りだった。山城さんはその荷下ろしを手伝う約束をしていた。

 午後5時過ぎ、山城さんが畑から桟橋を見ると、すでに連絡船が到着していた。急いで桟橋に向けて走り、砂浜にさしかかるカーブを曲がった時だった。LCTが爆発した。

 桟橋にたどり着くと、砂浜には頭が割れている人、はらわたが出て「ひゅーひゅー」とかろうじて息をする人などであふれていた。「頭が真っ白になった。木っ端みじんになっている人もいた」。山城さんは当時の惨状を苦しそうに振り返った。

 砂浜で恵美さんを探していると、山城さんの名を呼ぶ弱々しい声が聞こえてきた。声をたどっていくと、横たわる多くの遺体の中に恵美さんの姿を見つけた。全身に砂利が食い込み、血だらけだった。状況を理解できない山城さんは言葉を発することができず、泣くだけだった。「私も胸をえぐり取られたかのようで、正気じゃいられなかった」

 恵美さんは本島の病院に搬送されたが、およそ3日後に亡くなった。父親によると、事故から約1年後、恵美さんの遺骨を洗骨した際、頭蓋骨から親指ほどの大きさの爆弾の破片が見つかったという。

 爆発当時、恵美さんの息子、良明さんも出迎えるため桟橋にいた。爆発後、村民らの捜索で海に浮いている身元不明の遺体が見つかり、頭は割れていた。足の付け根辺りにあったあざなど、特徴が良明さんと一致していた。恵美さんの夫の父親が確認したという。

 事件から75年となる。「10歳ほど離れていた姉はよく面倒をみてくれた。私はカタカナのロを書くのが苦手で、姉から書き方を怒られていた」。そう語る口調と表情は一瞬柔和になった。「特別な絆みたいなものがあったからね」。事件の詳細に話が戻ると、その表情は再び悲しみに覆われた。

(金城大樹)