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香でタイムスリップ 歴史上の人物、身近に感じる 河瀬直美エッセー<とうとがなし>(9)


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筆者の愛用する高江洲盛良さん作の香炉

 もう20年近く前に那覇のやちむん通りで購入した高江洲盛良さん作のシーサーと牡丹(ぼたん)と龍が施された香炉を今でも床の間に置いて、たまに香を燻(くゆ)らせている。琉球時代は丁子風炉(ちょうじぶろ)という香炉に似た用途の風炉があり、丁子(クローブ)を煎じて香気を出させ、室内の防臭・防湿に用いるのが盛んだったようだ。その形に似たこの香炉。いずれにしても琉球時代には香の文化が発達していたことが古い文献からも見て取れる。

 しかしお目当ての香炉は、当時の自分にとっては、とても高価な買い物だった。けれどなぜかとても惹(ひ)かれて、飛行機の時間ギリギリまでねばって悩み購入した想い出がある。シーサーがとにかく好きだというのもある。気付けば、私の日常生活の傍(そば)には琉球のものが多く存在している。それは、そのモノに出会った想い出も含めて身の回りで私を支えてくれている。また、香といえば、琉歌に以下のような歌がある。

 沈(ぢん)や伽羅(ちゃら)とぼす(とぅぶす)
  御座敷(うざしち)に出でて(んぢてぃ)
 踊(をぅどぅ)るわが袖の(すでぃぬ)
  匂ひ(にをぃ)の(ぬ)しほらしや(しゅらしゃ)

筆者宅にあるシーサー

 沈香(じんこう)や伽羅(きゃら)香を焚(た)いたお座敷に出ると、舞っている私の袖に移る匂いの奥ゆかしいこと。奈良でも沈香は、聖武天皇の宝物として正倉院にも残っていて、千年も前から人々は『香』をたしなんでいたことがわかる。琉球には香木が沢山(たくさん)あったというから、琉球から大和にも沈が届いていたのかもしれない。

 正倉院の蘭麝待(らんじゃたい)と呼ばれる実在する伝説の香木がある。これを織田信長は切り取って、香を焚いたと文献に残っている。1300年前の聖武天皇のお宝を450年ほど前の時の権力者が切り取る姿を思い浮かべる。そうしてタイムスリップしながら、時空を行き来し、自分も歴史の一部なんだなぁと感じる時、沈香の「匂ひ」が私の周りにも漂ってくるようだ。

 10月の末から毎年、正倉院の蔵に風を入れるために扉が開かれるのを機に、一般公開される宝物。今年は何がお出ましになるのか、全国の皆様が訪れる晩秋の奈良が待ち遠しい。

 1609年に琉球に薩摩が攻めてきた時の国王尚寧王は翌年、家康の居た駿府(すんぷ)(現在の静岡)に出向く。駿府ではお土産として家康にハイビスカスの原種を贈った。と、古老から伝え話で聞いたことがある。事実かどうかは定かではないが、家康はその花がとても気に入って、すぐに再度取り寄せたほどだという。しかし、実は琉球ではハイビスカスはお墓に飾る花であった。事実であれば、尚寧王はじめ琉球人の皮肉がそこに隠されている。

 私にとってそれらの行為は、尚寧王も家康も信長も聖武天皇だって、みんな「ひと」であったという事実。急に教科書の中の人が目の前で怒ったり笑ったり悲しんだり焦がれたりする生身の「ひと」に思える微笑(ほほえ)ましい瞬間だ。確かにあった現実に触れながら今日も盛夏の朝が明ける。

(映画作家)