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採用通知は電報でした 「グランドキャッスル」開業から半世紀、今も現役の従業員3人「まだまだ働く」 ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城


この記事を書いた人 琉球新報社
約半世紀、ホテルでスタッフとして働いてきた(右から)島袋幹夫さん、城間のり子さん、玉井百々江さん=15日、那覇市のダブルツリーbyヒルトン那覇首里城

 那覇市のダブルツリーbyヒルトン那覇首里城は今月31日、「グランドキャッスル」の名を冠した前身のホテルから数えて開業50周年を迎える。ホテルには約半世紀勤務する3人のスタッフがいる。ハウスキーピングの島袋幹夫さん(69)と、グランドキャッスルカフェ&ダイニングの城間のり子さん(68)、玉井百々江さん(68)だ。3人は「先輩に支えられ、職場の雰囲気が良くて続けてこられた。体力がある限り働きたい」と口をそろえる。

 島袋さんと玉井さんは開業に向けホテルが建設中だった73年5月、城間さんは翌74年に入社した。60歳で定年を迎え、今はパートとして勤務する。ホテルは「沖縄グランドキャッスル」として73年8月31日開業し、97年に「ホテル日航那覇グランドキャッスル」に改称。2016年にダブルツリーbyヒルトン那覇首里城となった。

「沖縄グランドキャッスル」時代のホテル(提供)

 沖縄が日本に復帰したばかりの開業当時、ホテルがある首里山川町周辺は段々畑やサトウキビ畑が広がっていた。「電話がなくて採用通知は電報、ホテルでの計算はそろばん」(玉井さん)。客層は県外からの新婚やペアルックのカップルが多かったという。

 島袋さんは入社後、20階にあったフランス料理「シェールシャトー」で勤務。その後は警備、清掃などの業務を幅広く経験した。「仕事は目で覚えてきた。辞めようと思ったこともあったが、何より職場の雰囲気が好きで続けている」と話す。

 城間さんは和食レストランに配属され、入社数年後には、フランスのJAL系のホテルへ2年間出向した。利用客にいいホテルだと思ってもらえるよう、常に心掛けてきた。「家族のようなメンバーでやってきた。このホテルが好きだし、まだまだ働く意気込みはある」と語った。

 玉井さんは40年、和食の道を歩んだ。入社当時はうるま市勝連の自宅からバス3台を乗り継いで2時間かけて出勤し、着付けをして接客に当たった。復帰に伴い、米軍関係の仕事を失い、転職してきた先輩たちに多くを学んだ。「素晴らしい先輩がいたから今がある。ホテルも自分たちも健康で、楽しく誇りをもって仕事をしたい」と笑った。
 (當山幸都)