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体験者の証言「事実を慎重に読んで」 沖縄戦記憶継承プロジェクト 解釈や好悪で異なって伝わることも


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「みんなが沖縄戦について全て分かる訳ではない。事実がどう読めるのか、自分たちが学んだことをお互い指摘し合い、力を合わせて考えた方が良い」と話す、ひめゆり平和祈念資料館の仲田晃子さん=26日、那覇市泉崎の琉球新報社

 「沖縄戦の記憶継承プロジェクト―戦争をしない/させないために」(同プロジェクト実行委員会主催)の第10回講座が26日、那覇市の琉球新報社で開かれた。ひめゆり平和祈念資料館で説明員を務める仲田晃子さん(46)が、語り手や受け手によって事実が異なって伝わることを念頭に「記録・証言をそのままに“読む”ことの難しさ」と題して講義した。

 沖縄戦で南部に追い詰められたひめゆり学徒らは1945年6月18日、解散命令を下された。引率教員の西平英夫氏は、持久戦を続けるため北部の日本軍に合流する「国頭突破」を指示。負傷して動けなくなった仲間を「捨てて行け」とし、「一人でも多く生き残れ」とする一方で、「捕虜になるな」と命じた。

 仲田さんは、学徒らが戦場で負傷した学友を置き去りにした理由として、西平氏の指示に従ったという戦後の元学徒らの証言を紹介した。元学徒らは、西平氏の言葉を「生き残って後世に伝えろ」と解釈して語ってきたとし、「生きろ」という言葉が異なった意味で伝えられてきたとした。

 学徒らに「死ぬなよ」と諭した引率教員の東風平恵位氏にも、軍歌を歌って戦意高揚する面などがあったとし、「今から見ると矛盾するような振る舞いも一人の中にある。好ましい姿だけを見ると、当時の社会的文脈を見逃す」と指摘した。

 体験者の証言や記録を読む側の意識として、「理解しやすいこと、受け入れやすいことがよく聞こえる一方で、自分の物語と異なる物語は聞こえづらい」と指摘。慎重に事実を読むことや、沖縄戦を継承する人たちが互いに事実を指摘しあう大切さを強調した。

 今回が最終回で、受講者には修了証も授与された。10月に県立博物館・美術館で受講生らによる発表会を開く。第2期は11月からを予定。座学とフィールドワークで立体的に沖縄戦について学ぶ。

(中村万里子)