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私という存在 母と姉が人生の師 宮城さつき(フリーアナウンサー)<女性たち発・うちなー語らな>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 毎回何を書こうか頭を悩ませながら、立ち止まり、自分の半生を振り返るような時間は楽しくもあったこのエッセーも今回で最終回。タイトルにちなんで、私を取り巻く女性たちについて書きたいと思う。

 私という人間を形作ったのは、紛れもない母だと思う。私には、四つ上の姉と七つ上の姉がいる。三姉妹だ。一番上の姉は、乳児期に原因不明の高熱がひと月以上続き、知的障がい者となった。50年近く前、障がい児教育は今のように構築されてはおらず、母は数少ない情報を手繰り寄せながら、少しでも良い教育を施してあげたいと奔走していた。

 市と掛け合い、校区の小学校とは別に、仲良し学級の充実した別の小学校へも通ったり、専門家のアドバイスを乞うためにバスを乗り継いで教育センターを度々訪ねたりしていた。そんな母の後ろ姿は今なお私の脳裏に焼き付いている。

 私は、保育園には通っていない。姉に付きそう母と共に幼少期を過ごしたためだ。だから、鉄棒の逆上がりが初めてできたのも、椅子取りゲームの楽しさを知ったのも、姉の通う仲良し学級だった。障がいのある方々と楽しく接しながら育つ中で、次第に世間からの偏見や好奇の目に敏感になるようになった。

 そんな時、姉が同級生からここではとても記せない仕打ちを受けたことがあった。母は学校に出向き彼らと向き合い話し合った。けがの傷は時間がたてば治るが、心の傷はずっと残る。そう説いた。母の思いが通じたのか、以来、彼らはどこで母と会ってもちゃんとあいさつするようになったという。幼心にすごいと思った。普段は穏やかで優しい母であるが、誰よりも芯のある強い女性だと思う。

 そんな両親の愛情を一身に受けて育った姉もまた、屈託のない笑顔で周りを癒やしてくれる。人として大切なことは母や姉の姿を通して学んだように思う。

 先日、実家に帰ると廊下には姉が描いた色とりどりの丸が並ぶ絵が大きな額に入れられて飾られていた。父と母は、真っ先にその絵を見るよう私に促した。色彩が素晴らしいと絶賛。親バカだなと思いながらも、この時間がかけがえのないものに感じた。

 昨年末、自分の限界値を超えた舞台公演を翌日に控えた晩、チャイムが鳴った。開けると、そこには、80歳を超える母と2番目の姉が立っていた。「頑張れ」と、ただ一言言うために来てくれた。久しぶりにハグをすると、母の体はこんなにも小さくなったのかと驚きながらも、その小さな体から、とてつもない力をもらった。母のように強くしなやかな女性に私もなりたいと思う。