<書評>『眠る木』 誰かの日常、歴史通して記録


社会
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『眠る木』上原沙也加著 赤々舎・4950円

 私の部屋の壁には上原沙也加の写真が1枚かかっている。昨年、那覇での個展の際に求めたものだ。しかしわたしはそれを「所有している」と言うことができない。美しい写真は、静かに、しかしいつまでも部屋の一部とならずに、眼をやるたびにこちらをそっと見返す。

 上原沙也加の初の写真集である『眠る木』は県内で撮影された86枚を収録する。無人の事物や風景の写真だ。光輝く森の道、街角のグラフィティ、店舗の店先、レストラン、駐車場、市場、基地、海辺、庭。2016年に大学を終えて戻った写真家が、沖縄を歩いて撮った。

 どれも何気ない写真のようで、よく見ると必ず人を立ち止まらせ、見つめながら、考えさせる何かが潜む。どうして菓子屋のケーキはこの色なのだろう? なぜアンティーク店にフラダンスの人形が並ぶのか? プラスチックの黄色いバケツ、その中のガラスでできた花、それが乗った古い木の台は、それぞれどんな時間の流れを経て、店頭に集まったのだろう?

 一見容易に撮影できそうな写真は、技巧的に見せようとしない。作為の芸術家ではなく、風景や事物に語りかけられ、それに応えた記録者として写真家があるかのようだ。自身の独自性よりも、複雑な歴史を経て眼前を覆う日常にこそ敬意を払い、注意深く耳を澄まし、身体を開いて歩き、時間をかけて見つめ直してきた身ぶりが伝わる。

 書名に「沖縄」の言葉はない。写真はどれも日々の姿でありながら、感傷性や懐かしさを加えられていない。どこか遠くの誰かの日常にも、他者の身体にも自然に沁(し)み込むような写真たち。だが見ればそこには沖縄の歴史からしか生まれない何かが記録されている。近づきやすいが、所有されない。そのあり方はこの写真家の政治意識に裏付けられているだろう。

 小説家の柴崎友香と批評家の仲里効による充実の論考も収録し、造本も美しい。写真家・上原沙也加が眼の前の事物の美しさと違和感と歴史性に立ち止まり、それを一冊に組織した意味を、これから多くの人と語り合いたい。

(林立騎・那覇文化芸術劇場なはーと企画制作グループ長)


 うえはら・さやか 1993年沖縄県生まれ、写真家。2019年、東京と沖縄で展覧会「The Others」を開催。20年、第36回写真の町 東川賞新人作家賞受賞。