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沖縄、戦場にしない責任 長方さんのメッセージ <乗松聡子の眼>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
乗松 聡子

 8月18日、元沖縄県議で沖縄社大党の委員長を務めた瑞慶覧長方さんが91歳で亡くなられた。心よりご冥福を祈りたいと思う。いま、2015年6月、長方さんが83歳のときに南城市のご自宅で戦争体験を聞かせていただいたときの音源を、改めて聴いている。

 皇民化教育を徹底的に受けたことを語りながら長方さんは「特に沖縄の場合、本当は天皇と関係がなかった」と強調した。琉球王国の長い歴史があったのに薩摩が侵略し、1879年には琉球併合された。

 「天皇の子孫としてでっちあげる。これが皇民化教育だった。琉球人にとっては天皇と関係ないのに天皇は神様のように、マスコミも、ありとあらゆるものが皇民化の枠にはめこまれた」

 沖縄にとっての「皇民化教育」は、植民地支配下での強制同化であったということを改めて認識する。

 当時13歳だった長方さんと家族は、日本兵に壕からも追い出され、携帯していたわずかな食料も奪われた。ある日、既に米軍に保護されていた住民が白旗を持って投降を促しに来たとき、岩陰から日本兵3人が刀を抜いて飛び出してきて「売国奴!」とその人の首を斬(き)った。誘いに応じて投降しようとした人も虐殺した。

 長方さんは逃げ惑う中で幾多の無残な死体を見た。畑で赤ん坊の泣き声がしたと思ったら、おぶっていた母親は死んでいた。少年の脳裏に焼き付いた「生き地獄」は戦後も消えることはなく、睡眠障害や健康問題を抱えながら教師として、県議としての人生を歩んだ。

 長方さんは「戦場の実態を知らない政治家連中が国会で空議論をしている」と、中央の政治家に厳しい眼を向けた。「政治家を目覚めさせないとどうにもならない。根本から考え直させることだ」。これを聞いて、麻生太郎自民党副総裁が先月、台湾訪問中に言った「日台米に『戦う覚悟』が必要」という言葉を思い出した。これは、中国に対する外交的一線を越えた挑発行為であった。

 長方さんがこの世を去った18日、米国のキャンプ・デービッドでは史上初の日米韓首脳会談の共同文書が発表され、南シナ海での「中国による不法な海洋権益に関する主張を後押しする危険かつ攻撃的な行動」との名指し批判、「朝鮮半島」ではなく朝鮮民主主義人民共和国のみを対象にした「非核化」要求、「ロシアによるいわれのない残酷な侵略戦争」と、米国が敵国視する国々への余すところない敵意が表明された。

 これらの政治家たちは「空議論」で本当に東アジアに戦争をもたらそうとしているのか。沖縄では7月に発足した「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」が8月13日に那覇で緊急集会を開き、麻生発言の撤回と県民への謝罪を求めたという(8月15日付本紙報道)。

 沖縄に今でも植民地主義的な基地押し付けを続け、自衛隊増強で中国封じ込めを強化している日本の人間こそ、「政治家を目覚めさせ」、沖縄を絶対に戦場にしない責任がある。瑞慶覧長方さんが遺(のこ)したメッセージを心に刻み、日本人としての責任を果たさなければいけないと思う。

 (「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)