【島人の目】米留学を果たした先輩たち


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 昨夏、人生の2人の先輩が10年ぶりに再会する場に同席した。その1人、山川アケミさんは1934年生まれの81歳。高校時代から外国に行く夢を持ち、琉球大学英文科卒業後は米留学の切符を手にし夢をかなえた。アイビーリーグの名門コーネル大学大学院で修辞学と演説法を専攻したアケミさんは卒業後に帰郷し、64年に雑誌で「お嬢さん留学記」を掲載。各国の留学生との交流など大学院生活を生き生きと描いた。

 忘れられない出来事は、アケミさんが図書館で勉強して夜遅く寮に戻ると、大きな手作りケーキとともに15人ほどの女子学生がサプライズ誕生日会を催してくれたことだ。寮友から祝ってもらったお礼にアケミさんは、小泉八雲の怪談を紹介した。その後、再度渡米しアメリカ人の牧師の夫と共に伝道活動にいそしんだ。夫を亡くした今は、バージニア州ノーフォーク市にいる娘の近くの施設に入所している。
 もう1人は、アケミさんと高校、大学が同窓の真栄城美枝子さん(メリーランド州、79歳)はコロラド大学に留学し、米国作家の小説、詩、戯曲の世界にひたった。帰国後は琉球民政府公衆衛生部に就職したが再度渡米し、ミシガン大学で本格的に公衆衛生学を学び修士号を取得して琉球民政府に戻った。結婚で渡米した後は米国立衛生研究所で働き、昨年退職した。
 2人の再会の場で美枝子さんが持参した女子大学生時代の写真を見せてもらった。嘉手納飛行場から米国へ旅立つ直前の飛行機のタラップで記念写真に収まる2人はしゃれた最新のドレスに身を包み、留学への期待と誇らしい笑顔にあふれていた。
 55年あまり前、女子の大学進学でさえ希有(けう)であった時代、2人が米留学を果たした快挙を知らずにいた面々は憧憬(しょうけい)の念を抱き、いつしか2人のために三線や琉球民謡、踊りを始めていた。
(鈴木多美子、バージニア通信員)